アートの力、可能性

昨日仕事で大阪で絵描きの淺井裕介くんと一緒だった。

そこで、年明けから東京都現代美術館で行なっていた彼のワークショップのあるエピソードを聞かせてもらった。

彼は、泥やマスキングテープ、白線シートなどの、日常にある素材を使って絵を描く。
ワークショップでは、マスキングテープによるワークショップを行なったそうだ。
全部で4日間の日程。最終日は震災後だったにも関わらず、全員が参加できたそうだ。
http://d.hatena.ne.jp/asaiyusuke/20110326

その参加者の中に一人の中年の会社員の人がおられた。
この方はこのワークショップに参加したことで、鳥や植物をマスキングテープを使って描く術を知った。
それが思わぬ時に力を発揮した。
それは震災時。
会社に出勤中だったこの方は震災の影響で家に帰れず、会社で一晩過ごしたのだそう。
他の同僚の人たちが、慌て、不安になり、落ち着けずにいる中、
この方はもくもくとマスキングテープで鳥をつくっていたのだそうだ。
そしてそのことで「救われた」「落ち着く事ができた」のだそう。

今東北の人たちが過酷な状況に直面している中、ほとんどの日本人、そしてたくさんの世界の人が、何か自分にもできることはないだろうかと考えている。それはアート業界の人も同じだが、どうしても「アートはこういう時に無力だ」と思ってしまう人が多いそうだ。僕も、なんて建築は無力なんだ、と流されて行く建物を見てむなしくなった。きっとそんな気分なんだ。

災害による被災者の心理的変化には4つの段階があるという記事が先日新聞に載っていた
1「衝撃期(茫然自失の段階)」 目の前で起こった事が信じられず、何もできない失望感の段階
2「蜜月期(ハネムーンの段階)」被災した人同士、または周辺の人たちが、一致団結して立ち向かおうとする段階
3「幻滅期(混乱の段階)」被災者間に格差が出たり、怒りや不満が爆発し、もめ事が起きる段階
4「再建期(復興の段階)」復興にめどが立ち、将来を考える段階

今は2つめの段階だ

しかしいずれ3つめの段階がやってくる。
もしかするとこれがある意味精神的には一番きつい段階なのではないだろうか

確かに1つめと2つめの段階では、アートやデザイン、建築には貢献できる面が少ないかもしれない
災害支援面から見れば、1つめの段階は「消防」「救命」であり、2つめは「避難支援」で、なかなかこれに関わることは難しい。

でも一番きつい3つめの段階には何か役割があるかもしれない。

例えば、避難所の殺風景な壁や天井に、アーティストが絵を描く、とか。
ワークショップなどで子供に楽しい時間を提供する、とか。
小さな演奏会を開く、とか。

今日紺屋のギャラリーでは、ライブペイントが行なわれた
現在開催中の「エイブルアート展」の企画だ。
エイブルアートは障害のある人たちによるアート
本当はもっと色々意味があるが、簡単に言うとそういうアートだ。
http://konya2008-2014.travelers-project.info/konya-gallery/2011/02/life-map--draw-the-line-.html
今日は本田さんというアトリエブラヴォに所属する作家さんのライブペイントだった。
彼は13時から16時まで、ただただ無心で描いていた。

その姿は、何か見ていて力を与えられている気がした。
特に「無心」であることが姿からよく伝わって来て、無心になることの難しさ、そして大切さを思い出さされた。今の自分にも足りていない心のあるべき状態だ。
出来った絵もさることながら、その描く姿に小さな感動を覚えた。

避難所の大きな壁に、たくさんのアーティストがライブペイントをしたら、その姿と絵がどんなに人の心を救うだろう
被災者の人々がみな思い思いにマスキングテープで鳥や植物をつくったら、どんなに心が解放されるだろう

ふとそう思った。

アートの力、可能性

それは凄いのではないか。

そしてもうすぐやってくる3つめの段階でこそ、その力は発揮されるのではないか
生命と肉体の安全が確保された次は、心の救助を文化がするべきなのではないか

もちろん簡単は話ではない。所詮現場を分かっていない者の戯言に過ぎない。
でもそう本当に心から思ったのだ。

from I-phone

ジレンマから難民、そして自分の浅さまで / no.d+a

先週末は、いい意味でも悪い意味でも、いや、いい意味で色々あった週末だった。

まず土曜日。

北九州にて開催されたリノベーションシンポジウム北九州の第2部登壇者として参加した。
ありがたいことにこれまで様々なところから声をかけて頂いて延べ約30本ほどのシンポジウムや講演会に参加させて頂いて来たが、今回のは過去に類を見ないぐらい残念なシンポジウムだった。
正確には自分が登壇した第2部が残念だった。準備段階から当日の段取り・会場構成、そして進行と、仮に学生が主催してもこれほどひどくはならないだろう、というぐらい不足していたからだ。
細かく言い出すと切りがないし、そんなことを言っても始まらないので、止めておくが、
1つだけ様々な社会に通じるジレンマを感じたので、その部分を取り上げる。

第2部は全部で1時間半の予定だった。
登壇者は8名。
最後にディスカッションの時間を20〜30分ほどとるため、一人の持ち時間は10分ほど。
テーマは「地域からはじまるリノベーション」とあったが、まあ要するに各自が事例を紹介する会ということ。
各自は自分たちのやっていることを発表せよ、と言われていた

さて、色々なシンポジウムを聴講したことのある人や、自らシンポジウムを開催したことのある人、またはモデーレーターやパネリストとして参加したことのある人であれば、上記条件を見れば、だいたいどういう会になるかご想像がつくのではないかと思う。
要するに各自が持ち時間を3分でもオーバーすれば、ディスカッションの時間は完全に無くなり、ただの発表会になるのでは、ということだ。
3分なんて、話していたらあっという間だ。それも話したがりの建築の人たちだ。越えるに決まっている。
その上各登壇者の事例を見ればとても10分では足りないことも分かっているし、仮にオーバーして13分話してもほんの触り部分しか話す事ができない。
とても理念の話には踏み込めない、浅い内容になりそう、誰しもそう思うのではないだろうか。

結果はというと、残念ながら期待は裏切られなかった
登壇者によっては20分話す人もいて、当初伝えられていた1人8分の持ち時間を守ったのは、僕の師匠である青木茂氏と僕だけだった。
そのため、ディスカッションの時間が無くなったどころか、第2部自体が制限時間の1時間半を30分もオーバーしてしまった。

ジレンマはこの中で感じた

モデレーターという段取り・進行役から最初に「1人8分」と伝えられた
それを2名は守り、6名はオーバーした。
この6名は本来何らかの不利益を被るはずだが、
しかし実際は、たくさん話せたその6名が参加した利益をより得られた。
ということは、守らない方が得をする、ということになる。
守る、という選択には何の意味も無くなってしまい、どんどんオーバーした方が良くなる。

わずか1時間半、いや2時間の中の話だったが、ここには様々なジレンマが隠れている。

人が生存競争をする「生物」という視点では6名が正しい。
生物的本能に純粋に従っている。
人が共存共栄をする「人間」という視点では2名が正しい
理性的に秩序に従った。

果たしてどちらが正しいのか。
どちらも人間の側面である。
どちらが欠けてもいけない。

例えば関東のスーパーの品薄状態の問題。
買いだめする人が本当に悪いのかは分からない。
家族の為、そして自分が生き延びるため、という本能が働いているのだから。
買いだめを控える人は倫理的には正しいと思うが、
しかしもしかしたらこの人は生き残れないかもしれない。
生き残るのは前者なのだ。
それがこれまでもそしてこれからも受け継がれているDNAなのだ。

この第二部に参加して、ふとそんなことが頭をよぎった。

そして、日曜日。

紺屋ギャラリーにて開催中だった映画上映会のアフタートークを聴講。
映画は「ベンダビリリ」。トークゲストは、ミュージシャンであり、アフリカで支援活動をしている、松永誠剛氏。
その話の中で、エイズ問題から難民キャンプの話になった。
南アフリカではエイズの蔓延が止められないで困っている。
それはなぜか。
エイズになった方がより良い生活保護を受けられるからだそうだ。
食料も薬も家も、まず最初にエイズ患者に与えられる。そのためみな進んでエイズになっていくのだという。
この現象は難民キャンプでも言えるそうだ。
難民キャンプで「最下層」と位置づけられたところが最優先支援対象となる。
そのため誰も最下層グループから抜け出ようとしないのだという。

このジレンマは本当に難しい
そこには制度のジレンマがあり、理性と本能のせめぎあいがある。

難民
そこには、人として、ということと、生きる、ということが両立し得ない世界があるのかもしれない

さて、その後、その足で佐賀へと向かった
佐賀市にて開催される「石山修武氏講演会」を聴講するためだ。

学生時代から書籍を読んだり、講演会を聴いたり、そして佐賀早稲田バウハウススクールに参加したりして、多少なりとも影響を受けた人だ。しかしここ数年は書籍もほとんど読んでおらず、講演会を聴くのも10年ぶりに近いぐらい久しぶりだった。

その講演内で、「難民」という言葉が出て来た。
それは、国内難民、の話だ。
中国では再開発やダム開発で年間300万人の国内難民が生まれているのだという。
これまでまったく日本に縁のなかった問題だが、今回の震災により、それに近い立ち場の人が何十万という規模で現れる、その時他の地域がどう取り組むのかが大変重要だ、という話だった。

前日のシンポジウム第3部でも震災のことに触れられ、「仮住まいの輪」という家を失った被災者と空き家を持つ家主をつなぐ活動の紹介があった。
素晴らしい取り組みだと思うが、一方でしかし、正直なんかどこか違和感も感じていた。

それが、
「共同体をつくる」ということが全体テーマのレクチャーの中で取り上げられた時
はっとさせられるものがあった。
被災者は、当たり前だが「人」だ。
そこには、「住まいを必要としている人」という面もあるが、それ以外の面ももちろんある。
そして住まいは、仮とはいえ、最低1年は住む。
つまり、とりあえず住むところを求める人、という認識はまずいのではないか。
その周辺地域も含め、そこで最低1年間暮らすのだ。
どうその人たちが地域に加わり、経済活動に参加し、暮らしていくのか。
そこまでも見据えた取り組みが必要なのではないだろうか。

とはいえ、落ち着く家が必要なのも事実。避難所生活には限界がある。悠長な事は言ってられない。

これもまたジレンマだ。

それにしても、日曜日の雨の中行くまいか悩んだが、思い切って講演会を聴きに行って本当に良かった。正直土曜日のフラストレーションが足を向かわせるエネルギーを与えてくれた。やはり人に怒りはある程度必要かもしれない。そういう意味では土曜日のことにも感謝をしないといけない。

ここ数年建築雑誌や建築書籍、講演会、集まりごと、などから遠ざかっていた。
雑誌は読んでもぴんとこないどころか、時には不愉快な気分にさえなる。
講演会なども、フラストレーションのみ得て帰ること多々だ。
あれだけ学生時代どっぷりつかり、毎月ほとんど全ての号を読み、その他出版されるたくさんの建築家に関する新書を読んで、都内である講演会やシンポジウムはほとんど逃さず行っていたのに、我ながら信じられない。今読んでいる本も建築とは直接的には関係の無いものばかりで、全然建築系の書籍に興味がわかずに正直悩んでさえいる。本当にこんなんで建築デザイナーと名乗っていいいのかと。

建築家の講演会も長らく聴きにいっていない
しかし、今回の石山氏の講演会は、聴きに行って、不愉快になるどころか、本当に勉強になったと実感できた。何より学生時代にどれだけ自分が意味も分からず聴いていたのかを痛感した。今も相変わらず理解できていないが、でも理解できていないということだけはなんとか分かる様にはなった。凡人にはそれだけでも大きい進歩だ。

まだまだ踏み込みも覚悟も勇気も足りていない。もちろん勉強も経験も足りないが、何よりも肝心なところが足りていない。どこかであぐらをかいていた自分がいたのだ。それは何よりもマズい。

もっと励まないといけない。精進しないといけない。自分の浅さ、愚かさを知らないといけない。

そういえば、当日、石山氏に今自分がやっていることに関する資料を幾つか渡せる機会があった。
今紺屋でやっているサマースクールは、佐賀早稲田バウハウススクールに影響を受けていることは絶対に否めない。始めた頃から、いつかどこか早いうちに報告する必要があると、勝手に、思っていた。
今回幸いにもその機会を得れた。

そしてその資料に対する返答がブログを通じてあった。
3月中 http://ishiyama.arch.waseda.ac.jp./www/jp/top.html
4月以降http://ishiyama.arch.waseda.ac.jp./www/jp/toppast/top1103.html

ー典型的な疑似民主主義。大事な主題が欠落している。ー

まだ自分にはこの言葉の本質さえ見えない。
ただ、何もかも見抜かれてしまっていることだけは分かる。




地震を通して感じること諸々 /no.d+a

地震を通じて感じたことをメモしておく

1.兵役
 自衛隊の予備役の人たちが6000人ほど追加招集されたというニュースを見た
 予備役とは自衛隊で訓練を受けた経験のある民間の人というわけだが、
 これはつまりこうした訓練を受けた人が多ければ多いほど、非常時に動ける人が多いということ
 日本は兵役が無い国だが、これがもし兵役のある国だった場合、ほぼ全ての男性が非常時に動ける国だということになる
 兵役の問題と非常時の問題は別とは思うが、少なくとも兵役にはそういう側面もあるということになる
 今東北の悲劇的状況を見て、何か自分もできれば、と思う人は少なく無いはず
 しかし実際訓練を受けていない人が現地にボランティアで行っても、避難所の助けをできるぐらいで、救助活動をすることはなかなか難しいのではないだろうか
 もしも、兵役でなくとも、どこかの時点で消防訓練や救助訓練を受ける義務があり、それをほぼ全ての国民が経験していたなら、もっと助けの手が増えたのかもしれない
 シンガポールなどの幾つかの国は兵役を終えた後も定期的に訓練があるという
 兵役は無いほうがいいと思う一方で、こうした訓練の経験は必要なのかもしれない

2.戦時中の日本を想像してみる
 戦時中の日本は、日本全国が「戦争に勝つぞ」「天皇万歳」という雰囲気だった、と学び認識しているが、果たしてそうだったのか、と疑問を感じた
 むしろ、「兵隊さんたちが戦地で必死に戦っている。国内にいる我々もできることをやらないといけない」という動機が先にあり、しかしそれをそうとは誰も認識できなかったのではないか
 つまり、日本人独特の連帯感が呼んだ一体感だったのではないか、と思うのだ
 言い方を変えれば、本当に「戦争賛成」だったわけではないのではないか、むしろ戦争ということ自体に実は潜在的に無関心・無意識で、その戦地に赴いている身内や同胞への思いに深層的には意識が働いたのではないか。それが日本をなんとも言えない空気で包み、戦争反対を言えない空気にしてしまったのではないだろうか。
 同じ戦争という歴史も、軍部の台頭やメディアの扇動などから見る時と、実際のちまたの空気から見る時とでは、様子が違ってくるかもしれない

3.東京電力の努力とメディア
 東京電力は必死で頑張っていると思う。想定していたかどうかは別として、初めての経験をしているのは間違いない。いくら想定していても想定通りにはいかない。その中でもかなり高度な技術と対応で「計画停電」しているように思う。もし東京電力がそれをしなかったら、東京は突発的停電が頻発し、もっと混乱していたはずだ。それに全域が節電を頑張れば、どのグループにおいても停電させなくて済むわけで、「このグループの停電は見送りました」という報告は、本来喜ばしいものであるはずだ。
 にも関わらず、「事前連絡なし」「不手際の連続」等とバッシングされているのは、あまりに酷ではない
 もしも「いいよ。じゃあもう計画停電はやらない」と言って止めてしまったらどうするのか。
 もちろん振り回されている人々の大変さだってある。当然ストレスが溜まる。しかし、何もそれをメディアの報道が煽る必要な無いのではないか。
 何かがおかしい気がする
 頑張れ東電!負けるな東電!

4.全国ニュースは東京ニュース
 当たり前かもしれないが、つねづね、全国ニュースと言って報道されている情報は正確には東京の情報だ。東京の情報は全国の情報、全国の情報は東京の情報、となんだかジャイアン風なのだ。
 それが今回さらに強く感じられた。
 あれだけ頻繁に流していた東北のニュースは原発の話題だけになり、被災地の様子はほとんど流れなくなり、流れるのはひたすら「計画停電」のニュース。もちろん東京が日本の心臓で、そこが麻痺するようなことになったら、日本および世界の経済に影響を与えるということは理解できるが、それにしたってあまりに極端ではないか。一番被災地が混乱している時に、大勢でおしかけてやたらめったら報道したと思ったら、一番被災地が全国に伝えて欲しいであろう避難生活などの報道はそっちのけで、都内の駅に出来た長い行列を報道し、「いやあ、困りますよねえ。しっかりしてもらわないと」といった声を届けている。いったいメディアの役割とは何なのか。本当に[NEW]Sなんだとしたら、それはあんまりだ。
 仮にそうだとしたら、せめてジャーナリズムと[NEW]Sを都合の良い時に使い分けるのは止めて欲しい。
  
5.社員とフリーランスのキャスター
 どの人が社員キャスターでどの人がフリーランスキャスターかが今回の報道ではっきりした。
 24時間態勢で地震の状況を伝え、現地に行ってリポートしているのが社員。週明け通常の番組枠になって初めて顔を出したのがフリーランス。たぶん当たっている。
 たいした話ではないが、放送業界の構図が垣間見えた気がした

6.駅員さんたちの頑張り
 今回電車が運休になったりして、ふと思った。
 「だいたい駅員さんたちはどうやって出勤しているんだろう」と。
 日常的にはたぶん交代制なんだろうと予想する。終電まで担当した人は次の日の昼ぐらいに帰る。始発を担当する人は終電前に出勤する。のかなと。あくまで予想だが。もしかすると車だろうか。
 いずれにしても、今回のような非常時。車も、渋滞とガソリン不足で、利用が難しく、電車自体も止まったり動いたりしている中で、いったい駅員さんたちはどうやって勤務先と家を往復しているのだろう。泊まり込み体制だろうか。
 色々想像することしかできないが、実は陰ながら凄く大変なことをしている方々なんではないかと思った。

6.海外から来ていた人たちの混乱ぶりから
 日本人以上に、海外からの留学生や観光客、仕事で赴任している人などが、けっこうパニックになっているそうである。知人のドイツ人の人は早々に都外に脱出し、福岡から東京観光に行っていた留学生たちは帰国してしまったそうだ。
 最初聞いた時は、なんて大げさな反応だ、と思った
 が、その裏には深く考えると背景が色々ありそうだ。
 まず、政府やメディアに対する信用度。おそらく根本的に全然政府やマスメディアを信用していないのだと思う。それは良い言い方をすれば、自分のことは自分で責任をとる、ということ。後から、「あの時政府やメディアは大丈夫と言ったじゃなないか」と言って後悔するのは嫌だと思っているのだと思う。
 そこには、本来の個人主義、そして民主主義があるようにも思った
 次に、情報不足だ。もしも自分がまったく字が読めず、言葉が分からない国で被災して、流れてくる情報が映像や新聞の写真だけだったなら、それは確かにパニックになりそうだ。実際9.11の時スペインにいて、近い感覚を覚えた。なにせ最初はその映像がニュースなのか映画の宣伝なのかさえ分からないぐらいだったからだ。原発の爆発も、正確な専門情報はテレビを見ても何を言っているか分からないし、映像を見る限り間違いなく原発施設が爆発している。そしたらもう逃げるしかないのだ。つまり海外の人にとって、これほど日本語以外の情報が得れない先進国は無いと感じたのではないだろうか。
 国際化している都市かどうかは、もしかするとこういう時にはっきりするのかもしれない。

と、色々備忘的に書いてはみたものの、どれも結局安全なところに居る人間のたわ言に過ぎず、
正直書いている自分にむなしさと罪悪感さえ覚えてしまう

阪神淡路も福岡西方沖も体験したが、今回はその100倍だったと聞く
もうまったく想像もできない次元だ。

一刻も早い東北の復興を心から願い、出来る事からやりたいと思う

暗黙の了解は高度な文化を生む / no.d+a

あるいつも配達を頼んでいるお弁当屋さん
いつもらったか分からないので、けっこう前のものなのかもしれないが、メニュー表が事務所にあって、
それを見ていつも注文している。
前といってもせいぜい1〜2年の話だと思うのだが。

このメニュー表にある料金、実は実際の料金と違う

これが実際の価格より高いと困るのだが、その逆で、安いのだ。
それが全部そうなのか、一部そうなのか、は分からない
そしていつから改訂されたのかも分からない
店頭の値段と配達の値段が一緒なのかどうかもさえも知らない

だからメニュー表を見て頼む時、一応値段なんかも見て考えるわけだが、
たいていは思っていたよりも20円ぐらい安い料金を請求される

思っていたよりも安いもんだから、なんとなく得した気分になるので、
正しいメニュー下さい、とは言わず、ずっとこのメニューを使っている

ところが今日、ご飯抜きのおかずだけ、というのをスタッフが頼んでみたら、
メニューにある値引き額よりも少なかった

でもなぜか、ええー!、という気分にはならなかった(彼はなったかもしれないが。。。)
メニューが古いだけかもしれないから非はうちにあるかもしれないし
でも作成した日付の入っていないメニュー作るなんて、
このご時世一歩間違ったら、「ここには料金が変わるかもしれません、なんて無いじゃないですか!日付もないし!この料金にして下さい!」とか言われそうな時代なのに、かなりリスキーだ
でも、そういう「いい加減」なところが悪く無いなと思ってしまう
まあまあ、そういうこともあるんだし、ここで「書いてあるのより高い!」なんていったら野暮
それなら、今まで安かった分に対して、「書いてあるのより安いから多く払います!」て言わないといけない
と思う

他にもある

近くにあるアジア系料理屋さん
昨年の今ぐらいに「割引カード」なるものを発行した
最初に幾らかまとめて払って入ると、それを見せるたびにランチが割引になる
この割引率がかなり良くて、近いこともあり、頻繁に通うことになった
既に元は完全に取っている
このありがたいお得な割引カード
実は有効期限は昨年末だった
ところが、知らずに年明け見せてみると、使えてしまった
「あ、有効期限年末にしてしましたっけ?まあ、年度末ぐらいまでは使えるようにするつもりですから」
だそう
これはヘビーユーザーにとってはありがたい話
でも中にはちゃんと期限を守って、捨ててしまった人もいるかもしれない
そんな人が知ったら「えー!!そんなのちゃんと言って下さいよ!」となりそうなもんだ
それに「あ、やっぱりそれもう使えないことにしました」と急に言われる可能性もあるが、
その時に「こないだ年度末までって言ったじゃないですか!」と言ってしまったら、それは野暮だ

こういう、なんとも言えない、あいまいなこと
そしてお互い、まあ細かいことは言いっこ無しで、という関係

これを「暗黙の了解」と言ったら、使い方が間違っているかもしれないが、
とにかく、ちゃんと確認しあったわけでもないけど、お互いなんとなく理解している、ということに間違いはない

こういうことって、重要だし、良い文化だと思う

当たり前になり過ぎるとまずいし、「そんなことこういう時は当たり前だろ」とどちらかが言い始めたら、
間違いなく、ちぐはぐになってもめる。
これだけ多様な価値観をもっている人がいる社会と時代になって、
ますますそれが原因で問題になっていることがたくさんある。
建築の構造偽装の裏にあった設計事務所と構造事務所の関係だって、
食品会社の偽装表記だって、それが原因だと思う
その業界ではそれが当たり前、となってしまって、それが本当は良く無いことだということが忘れ去られ、
他の業界や正当な基準のスポットが当てられたら、大問題として噴出してしまう

でも、「これは本当はこうあっちゃいけないんだけど、まあいいじゃないか」ということは
時に文化を生んだり、維持したりすることに力を発揮することもあると思う

例えば相撲なんてそうだったんじゃないかと思う

大相撲は最初からスポーツとして始まったわけではない
どちらかというと今で言うエンターテイメント。まさに興行だったはずだ。
取り組みなんて場所中に星の数を調整する感じで決められて行くし、全然公平ではない
下位の力士でも、勝ち続けると、通常なら当たらないはずの上位陣と当てられてしまう
もしスポーツとしての公平性をいうなら、場所前にくじ引きかなんかで、全日程の取り組みを決めるべきだ
もしくは、トーナメント制か総当たり制にでもしないといけない
でないと、本当にその場所で優勝した力士が最強の力士であるとは証明できない

でもくじ引き制なんかにしたら、全然面白く無い
くじ運の良かった力士が上位と当たらずに全勝優勝ってことが起こってしまう
かといってトーナメント制だとあっという間に日程が終了するし、最終日なんて決勝の1番で終ってしまう
総当たり制にしたら逆に時間がかかり過ぎて15日間では終らない

要するに今のしくみを見れば、興行性に重きが置かれているのは一目瞭然だと思うのだ

つまり、人は、相撲をスポーツではなく、プロレスに近い、興行だと思って見てきたはずだ

たまに大技が出たり、下位の力士が上位陣を破ったり、長丁場の大相撲が展開されたり

「これ本当は一部芝居が入っているかもしれないけどなあ」

と認識しながらも、それに目をつぶって、あたかも真剣勝負であるかのように楽しむわけだ。

もちろん興行側は、表向きは「もちろん真剣勝負です」「正真正銘のスポーツです」としか言えないが、「そんな野暮な質問するなよ」って気分が本音ではないか。もしくはそういう質問をする人も知っていてあえてしている文化もあって、それにはそう答える、みたいな感じだったかもしれない。

ところが今回の事件は、ある意味、見る側が暗黙の了解を破った、とも言える

興行側にしてみたら、えー!そんなの当たり前じゃないか!言いっこ無しだろ!!って気持ちじゃないのか

もちろん金銭的なやり取りのある、買収による八百長、は良く無い
もしそれに賭博までからんでいたなら、それはまた別の問題

でも、プロレスファンがけして、「おいそこで締めて終らせてしまわないのは変だろ!手抜きだ!」と開始数分の段階で言わないのと同じで、まさに言いっこ無しの暗黙の了解が成立させていたのではないか。

暗黙の了解さえ許さなくなった時代

奥深く、高度な文化ほど、こういう時代には不向きだ

しかし果たしてそれが人間にとって失って良いものなのかどうかは分からない








日本の「技術」が負っている役割

日本は技術大国 ものづくり日本だ 技術を守れ
などとよく叫ばれる昨今。

しかし、そういう言葉を聞く時に思い浮かぶのは、自動車製品関係や電化製品関係ではないだろうか。

ちょっと前の話になるが、日経新聞の11月の「私の履歴書」は三菱重工相談役の西岡氏だった。

西岡氏の綴られた半生の中に出て来るのは、そういうイメージの技術ではなく、
もっと責任の重たい「技術」だった。

戦前の零戦をはじめとする軍戦闘機の開発をしていた三菱重工は、その後しばらくの空白期間を経て、
アメリカなどと共同で軍用機の開発を再開する。
もちろん攻撃ではなく防御のための機であるが、そうは言っても軍用機。

僕の「技術」への甘いイメージは、大きく覆された。

西岡氏は
「国を守る上で軍用機開発と生産の技術力を落とすわけにはいかない」
と言われる。

なるほど、技術は国防にとっても重要な要素だったのか。

考えれば当たり前のことだが、改めて言われてぎくっとした。

三菱重工と言えば、建築系の僕にとってはエアコンメーカーのイメージ。
そうでなくても、今回の履歴書は一般の人にとっても少々刺激的な内容だったのではないかと思う。

そういう視点から如何に技術を生み出し守ることが重要か。
海外へ技術移転をする重要性とあわせて見るべき視点だと実感した。