第3者は重要なんだ

第3者は重要なんだと最近よく実感する

例えば

「ごめんなさいを言うことは大切だ」と思っているAがいる

AはBからひどいことをされた

でもBはごめんさないと言わなかった

だからAはBに「ごめんなさいと言うべきだ」と言った

でも本当は、

ごめんなさいと言うことは大切であっても

ごめんなさいと言わせることはけして大切ではない

ー 人にごめんさないを言うけれど、人がごめんなさいを言わなくても許す ー

これが理想なはず

そして人がみなこういう意識になれば、自然とごめんなさいと言い合うようになる

でもそんなことはなかなか難しい

だから第3者が重要になってくる

なぜならこういうシチュエーションではAは当事者だから客観的に立つことができないから
Bに「ごめんなさいと言うべきだ」と言うべきでないからだ
言えばおそらくますます関係が悪化する

だから第3者が言う

「Bよ こういう時はAに謝るものなのだ」


これは第3者しか絶対に言えない

だから第3者はすごく重要なんだと実感する


ふたしかなこと

ふたしかなことはどうも気持ちが悪い

でもだからといってそれが悪いものであるというわけではない

ふたしかなことを受け入れられない自分が気持ちが悪いだけ

ふたしかなことを感覚的にでも受け入れれるようになることは重要かもしれない

まずはふたしかなことがあるということを認識するところから

マラソンで1位になる方法 / no.d+a

独りで走る

定期的な振り返り

半強制的に、定期的に環境が変わり、考える状況が変わることは、必要だ 大切なことでもつい、忙しい、を理由にしないままなことが多い しかし忙しい状況が終わった頃にはもう爺さんだ きっと忙しいとは違う別の問題が起きている 時限爆弾的に、定期的に見直す機会がくるように設定しておかないといけない

段階と先

ものごとには段階がある その段階が用意されていない場合は、作らなければならない 布石を打つ 経緯を読む 逆に言えば、以前は許されていたことが、段階を進むと許されなくなる そこが難しいし、醍醐味でもある