そもそも:年賀状 / no.d+a

年賀状

毎年年末に追い立てられるように書いて送っている

これまでなんとか年内に投函できていたが、今年はついに元旦に投函してしまった。

 

ああ、やってしまったなあ

 

そんな気持ちでいた。

 ところがだ。

どうやらそもそも年賀状は年が明けてから書くものだったらしい。

確かによく考えたら、年も明けていないのに、

「旧年中はお世話になりました。本年もよろしく御願いします」

なんて書いて送るのはおかしな話だ。

本来なら、正月を迎えて、ちょっと時間の余裕のある三ヶ日の間に、

挨拶に行けないあの人にせめて葉書でも送って挨拶するか、

ってな感じであるべきだ。

 

今のように年内、しかも25日までに投函、なんていう習慣は、郵政省がつくったものだ。

正月休みたいのに、大量に年賀状が集まってきて日頃よりもむしろ忙しくなってしまうから、

「25日までに出してください はがき自体は10月から予約受け付けますのでお早めに~」

なんてことを言いだしたようだ。

まあ気持ちはわかる。効率化した方が届ける側は楽なのだろうし、送る側にとっても、確実に1日に届けてくれる方がありがたいし、年内に出しておけば正月が楽だ、という気持ちもある。

しかし、よくよく考えたら、そもそもの大切な習慣やそれに付随していた気持ちの部分が追いやられてしまって、本来の発端とはちょっとずれたことになっている。ほとんどの人が年内に書くことに抵抗が無いだろう。さすがに元に戻せとは言わないが、そういう原点や発端はちゃんと知っておきたいものだし、システム化された中で無意識に行っている行為がある、ということを自覚しておきたいものだ。

 

って、まあ、所詮、年内に年賀状が送れなかった人の言い訳でしかないのだけど。。。

 

 

IT業界と建築業界 / no.d+a

IT業界を見ているとうらやましくなる面がある

それは、まだまだ未開拓の領域があり、大きなリスクを背負ってでも開拓しようとする
冒険心あふれる人々がまだまだ多いところだ

ひとたび面白そうだと思えば、損益考えず、チームを組んで、ボランタリーに取り組むことができる
グーグルやユーチューブも、様々方々に聞く限り、そういう側面があるように思う

ここはあくまで勝手な憶測に過ぎないが、
これはきっと100年ほど前にモダニズムの流れが始まった頃の建築業界に似ている気がする

リスクを恐れず、利益なんか気にしないで、どんどん挑戦的にやっていた人々がいたし、
それだけの可能性が建築という分野にはまだまだあった

しかし今、建築業界は衰退への道をたどっている
リスクも背負いづらくなり、背負う人もいなくなってきた
土地は少なくなり、そもそも建物が社会にとって必要とされることも少なくなってきた
ショップとネットショップとの関係などは好例だ

実はこれは将来IT業界が直面する壁でもある

というかもうかなりのスピードでそこに向かっている感もある

グーグルがスマートグリッドに関わり始めたそうだ

AIPの山本さんによれば、
「将来的にIT業界は電気の奪い合いになる」
という

これは土地を奪い合ってきた建築業界を想起させる

どの業界にも繁栄と衰亡がある

IT業界も建築業界と同じような道をたどるだろう
しかもこのスピードを見ているとそれはごく近い将来のようだ

しかしここで建築業界と違うのは
既に建築業界のような前例があるということだ

IT業界が建築業界と同じ道をたどらないためにも、
建築業界の経緯をよく見て欲しいと願う





鐘が鳴る

今鐘の音が聞こえている
2009.12.24.19:03

西鉄グランドホテルの前にある、福岡カテドラルセンター大名町カトリック教会の鐘の音だろう。

日頃からあそこの鐘楼はなかなか良いデザインだなと思っていて、
信号待ちの時なんかはじっと眺めてしまう

こんな都市の中にいて良い鐘楼から鳴る鐘の音が聞けるのは素敵なことだ
ちゃんとクリスマスを祝っている
当たり前なことなのだが、改めてぐっと身体でクリスマスを感じた気がした。

僕の実家では、クリスマスを祝う、ということは無かった
あっても、いつもよりちょっと良い食事が出てくるぐらい
サンタ(父親)も数年に一回子どもたちに気を使って枕元に登場する、ぐらいだった気がする

そのためかまったくと言ってよいほど、僕はちまたのクリスマスの習慣が無い
嫌いとかではなくて、街のイルミネーションなどを見るとそういう時期であることは頭では分かるのだが、身体が本当に知らないのだ
例えば、手帳やカレンダーの12月24日を見てもクリスマスであることを思い出さない。
うっかり相手に気を使わずに、24日の夜にミーティングしましょう、とか言い出しかねないほどだ。

でも鐘の音を12月24日にちゃんと鳴らすことは大切だなと感じた

そしてその鐘の音が人の心に与えるわずかな影響を感じた

これからは除夜の鐘ももう少し気持ちを込めて鳴らさないといけないな

その年最初に聞く音かもれない鐘の音が誰にどういう影響を与えるか分からない




twitter はインフラ / no.d+a

twitterはインフラ mixiはサービス

これはAIP CAFEの山本さんから教えてもらった新たな見方

twitterは利用者に委ねていることが多い
どう使うかは利用者次第

ガスをコンロに使うのかストーブに使うのか
そんな感覚だと思えば確かにそう見えてくる

つぶやくという簡単な機能しかない分、
メモ代わりに使ったり、日記に使ったり、会話に使ったり、と幅広い

そう思うとmixiはけっこう利用者に使い方を強いている
言い方を変えれば、使い方がある程度決まっている
利用者に委ねている範囲が狭いわけだ

もちろんそこには明確な境界は無い
時代や周囲の変化によっても変わってくるだろう
いつかtwitterもサービスと見られるかもしれないし、
何かと比べたらmixiもインフラと言えるかもしれない

ここで重要なのはIT業界の中にtwitterをインフラと見ている人々がいるということであり、
インターネットという大きなインフラの上にさらに新たなインフラが乗るということだ






乗り換えと運行量 / no.d+a

もう携帯の「乗り換え案内」上では間にあわなかった

しかし、それは、上野で乗り換えるのに4分かかる計算だった

走ったら、一つ前の山手線に乗れた

するとルートが代わり、浜松町で一つ早く乗れるルートになった

しかし、また、浜松町での乗り換えが4分に設定されていた

浜松町でも走った

そしたら更に1本早いのに乗れた

結局計15分も短縮できた

運行量の違う側面を発見した

当たり前だが、運行量が多いということは、時間のイニシアティブがこちらにあるということ

そして、乗り換えが多いことは不便だが、それだけ時間の組み合わせをコントロールする権利がこちらにあるということでもある

運行量が人の移動に与える影響は大きいのだ