感想『ロボットとは何か』(石黒浩 著) / no.d+a

『ロボットとは何か』(石黒浩著 講談社現代新書)を拝読

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

人はなぜ生きているのか どこに向かっているのか

最近漠然と考えてしまう事がなぜか増えてきた

経済原理以外の有効な、全ての人が共有できる原理はなかなか見出せない今の時代を感じると、
だいたいそもそも人間はなぜ生きているんだろう、と自然に考えてしまうからなのかもしれない

どこからやってきて、どこへいくのか
何かの目的があるのか そもそも終わりはあるのか
しかし終わりのないものなどあるのか
なぜこれほど複雑な構造をもった生物が存在する必要があるのか

疑問はつきない

僕の足りない頭と経験では、まったく見えない

でも、この疑問は別に僕だけのものではなく、
人にとっての永遠の大きな疑問だ
もしかすると実は人間はこの疑問を抱き続けるようにしかプログラムされていないのかもしれない

しかし実際はこの疑問に正面から取り組んでいる人はそれほど多くないのではないか
答えが出ないかもしれないことに取り組むことはつらいことだし、
先の見えない難問に取り組みむことを生業にして今の社会で生活するのは簡単なことではないと思う

でもこの本の著者である石黒浩氏はそれに真っ向から取りんでおられる
そう思った

この本は、題名は「ロボットとは何か」だが、実際は「人とは何か」について書かれていると感じた

しかもロボット研究という社会的意義と需要がある分野の研究を通して取り組んでおられるので、
まさにこの永遠の疑問に取り組むことを生業とされている

その上、現実社会と切り離されていないし、一部の研究者や業界・分野の間でしか成立しない話で終っていない。
むしろ日常生活との距離をかなり近く感じる研究と実践で、色々ある経済学研究や政治学研究、または、種々の工学研究なんかより、現実的にも意義が凄く高いように感じた
いわゆる重箱の隅を突く研究とは完全に一線を画してる
いわば、本当の意味での「研究」という仕事の社会的役割を果たされているように思えた

ロボットを限りなく人間に近づけようとする過程で、
哲学・芸術・心理学・社会学と幅広い分野を横断し思考されていて、
それらを含めて工学研究されている

もちろん読者に気を遣ってそうされていると思うが、
工学的な専門用語はほとんど出て来ないで、分かり易い言葉だけで説明されているのは、
その辺のそうした他分野と連携・連動されながら研究しておられる日頃の思考も影響しているのではないかと思う

だから哲学書を読んだ後のような、なんとも言えない、ますます疑問が深まるばかりの気持ちではなく、
なぜか、疑問は全然解消されていないのに、読み終えると清々しい気分にさえなってしまった

と同時に、この人答え出してしまはるうんちゃうやろか、とさえ思えた

そして、仮に石黒さんご自身は答えにたどり着けなくても、
石黒浩さんという「人」を研究することがそのまま、人とは何か、の研究になってしまう気さえした

とにかく面白い著書と著者

ちなみに8月にある紺屋サマースクール2011の特別講師をして頂く予定
今からむちゃくちゃ楽しみだ
(だからいい風に書いているのではけしてありません)









テレワークとAIP

WBSでテレワーク(在宅勤務)の特集が組まれていた
SkypeやiChatを利用して会議などが遠隔でも出来るようになってきたからだそう
しかしそうした技術を先駆けて使ってきたIT業界の流れはちょっと違う
紺屋2023に入居するAIPは、それまで在宅で仕事してきたフリーランスの人たちがわざわざやってきて仕事している
なんだか不思議な感じだ

from I-phone

福岡市都市景観賞2010を受賞しました

この度、紺屋2023で福岡市都市景観賞2010を受賞致しました。

正直まさかの受賞でびっくりしております。

福岡市都市景観賞は今年で既にもう24回目の伝統ある賞。
これまでに様々な建築物や景観が100件以上受賞しておられます。

この賞は、市民からの推薦によって選考対象作品が選ばれ、
その後審査委員会によって受賞物件が決まります。
今年は約160件の中から8件が選ばれたそうです。

この推薦ですが、他薦以外に自薦も認められているのですが、
ありがたいことに紺屋2023は他薦でして、僕らが知らないうちに応募されていて、
一次審査を通過しましたの御知らせで知ったほどです。

正直最初は、いわゆる都市景観には貢献していないと思うのだけど・・・・・・
といった半信半疑な状態で、まあ駄目だろうと思っていたら、
なんと受賞してしまいました。

受賞理由が、
建物と人々の活動が一体化することで生まれたこの画期的な場を、新たな「景観」の概念として捉えた
ということでした。

これまで、人と物の入っていないのが最も良い状態、というのが建築写真や建築空間の常識だった中で、それに対してずっと疑問を持っていた者としては、まさに人と物があっての受賞ということは、
大変嬉しい限りです。

人があっての景観。
そう思いますので、これからもこういった受賞作品が増えることを期待したいと思います。

そして、今回の受賞は何より「人々」のおかげです。
いつも紺屋に関わって頂いている方々、利用して頂いている方々、お越し頂いている方々に、
この場をお借りして、心より御礼申し上げます。

野田 恒雄

FUBAward.jpg



アーバンデザイン賞2010を頂きました

この度アーバンデザイン賞2010を頂戴しました。

UDaward2010.jpg

アーバンデザイン賞とは、建築や都市計画の研究者の方々によって構成されるアーバンデザイン研究体が毎年独自に選出して贈られる賞です。
※アーバンデザイン研究体:http://www.udmovement.com/
毎年研究体構成メンバーの方から推薦があり、理事等の方々によって選考してえらばれるもので、
今回は22件の推薦の中から4件が選ばれ、そのうちの1つに選んで頂きました。

今回は、冷泉荘・紺屋2023等ビルの再生プロジェクト、として、これまでのトラベラーズプロジェクトによる活動が評価され、頂く事となりました。

この場をお借りして、これまで様々なかたちでプロジェクトに関わって下さった方々、そしていつも恊働しているTRAVEL FRONTのメンバーに、心より感謝申し上げます。

今年度僕らの他は、東京R不動産、大阪のから堀倶楽部、柏の葉アーバンデザインセンター、の方々が選ばれておられます。
※授賞式の様子:http://udmovement.exblog.jp/11915324/
またこれまでにも、槇文彦氏・隈研吾氏・妹島和世氏、そして昨年は大学時代の恩師である小泉雅生先生など、蒼々たる顔ぶれの方々が受賞しておられ、大変身の引き締まる思いです。

これからの方々の名に恥じぬ様、そして、このアーバンデザイン賞の名に恥じぬ様、
これからも精進して参りますので、今後ともご指導・ご鞭撻のほど、なにとぞよろしくお願いします。

野田 恒雄
TRAVEL FRONT(TRAVELERS PROJECT事務局) 主宰
/number of design and architecture 代表







情報の偏りと国の偏り

ちょっとナイーブな問題だが、勇気をもって触れてみたい。

それは北朝鮮問題の話。

触れると言っても、政治論を書くわけでもないし、だいいち、専門家でも無いので、それは避けたい。

ただ、純粋に報道を見ていて感じることがあるので、それをメモ的に記しておきたい。

それは、情報の隔たり(へだたり)による偏り(かたより)だ。

北朝鮮への外からの見方、つまり北朝鮮外からの各国の見方に関する情報は、どんどん入ってくる。
中国がどう考えているかははっきり分からないものの、それでも多少は見えてくる。
この情報技術が発達した社会では、昔以上にそういった情報を一般大衆もマスコミもつかみやすくなっただろう。
しかし、北朝鮮からの情報はまったく入って来ない。
これは当たり前と言えば当たり前。国自体が情報を絞ってしか発信していないし、ましてや民衆から発信されることはあり得ない国だからだ。

でもどうだろう。
だからといって北朝鮮が何も考えていないわけではないし、市民も何も知らず考えていないわけではないはず。
統制されているとはいえ、何らかの事情と状況があるはずなのだ。

しかし情報が流れて来ないことで、何も考えていないと思われたり、得たいが知れないと思われたりしていて、まるで別の生物を眺めているような雰囲気が、報道にはある。そして、勝手な憶測、しかも安易な憶測が流れているように思われる。
でも相手は人間だ。主義や体質、習慣は違えど、何か事情があるのは事実じゃないだろうか。

ここにあるのは、コミュニケーションが不測している者同士に生じ易い、誤解やもめ事に似ているものがあるように思う。仲間内の情報だけを頼りにしていて、事実をつかめるはずはない。

そして、この状況こそ、
ちょっと似ている状況がかつてあったのではないかと思う状況なのだ。

それは二次大戦前の日本と世界の関係。

ここからは、浅い知識による想像の世界だが。
大国のアジアへの植民地支配に抵抗し、アジアで初の主権国家を目指していた日本。
やり方もした事もほとんど間違ってしまったが、目指したのは確かだろう。
つまり当時体勢を占めていた欧米とは別の対立軸を打ち出したわけだ。
その時、他の大国は、様々な理由と立場から、経済制裁をかけ、様々なプレッシャーをかけてきた。
日露先生や日清戦争では、当時としては合法であった法に従えば得れたはずの戦勝国としての対価も、ほとんど得らせてもらえなかった。
すると国は衰弱し、貧困が増し、内政は混乱し始める。国は国民のために、他の大国もやっていることであった、植民地や国土を広げようと、大陸へ出て行く。
しかしそれを侵略行為とみなされて、国際社会から非難され孤立していく。
確かに植民地支配は良くないし、やりかたもまずかった。
でもアフリカ大陸における欧米のそれと比べたら圧倒的に悪いとは言えなかったはず。
台湾では今でも親日の人が残っているぐらいだし、満州国は五国共和を掲げ、植民地とは呼ばなかった。それに比べ、アフリカは今でも植民地時代の影響による民族紛争が続いている。
でもやっぱり力が上の方が価値のイニシアティブを握るもの。
そういう日本の主張はかき消されていっただろう。
満州事変をはじめとする各事変も、あくまで日本の侵略行為と一方的に見なされた。
どちらが挑発したか、とか、どちらが喧嘩を売ったか、などは闇に消えて分からなくなった。
そして日本は今でいう、テロ指定国家になったわけだ。
ますます窮地に追い込まれる日本は、国内の民衆による政府への反発が高まり、軍部への期待が膨らんだ。
そして、軍部の暴走と軍部主導による大戦突入へ。

今の北朝鮮情勢と似ているなと思う点は
・世界の大勢と違う主義と方向性が否定されている
・経済制裁を受け、ますます国内が不安定になっている(らしい)
・軍部が主導権を握り始めている(らしい)
・微妙な国境線でのもめ事だが、全て非が北朝鮮にあると決めつけられている
・世界中からテロ国家と思われている
・ごく少数の国家と手を組んでいる(らしい)
・国内の現実や空気が他国へ伝わっていない
・国外の情報が正しく入っていない(はず)
などだ。
特に最初に触れた、情報不足とコミュニケーション不足による相互理解の不足は、よく似ているのではないかと思うのだ。

僕はけして北朝鮮を擁護する気もないし、大戦中の日本を正当化するつもりも無い。むしろ北朝鮮には早く安定的で民主的な国になってもらいたいと切に願っている。

しかし、かつての日本がそうであったように、軍部以外けして誰も最初から大戦など望んでいなかったのに、誤解が誤解をよんで戦争に突入していく、そんな状況だけは避けて欲しいと思うのだ。

どこか第3国(中国でもアメリカでも国連でもなく)が正確な情報をもとに相互の間をとりまとめれないものだろうか。それは、国でなくても、民間でもいい。いやむしろしがらみの無い民間がいいのかもしれない。

とにかく、今の、「こちらの情報と考えは絶対に正しい」として責めよる報道と世界の風潮に強い危機感と違和感を感じるのだ。
こういう時こそ多角的な視点と深読みしてみる姿勢が重要だと思う。
今こそメディアはその多様な価値観をうまく世界に伝えて欲しい。