物質の力

やはり紙の本でないと読めない
そんなことを改めて実感した

最近仕事で長めの文書を読まないといけないことがあった。長いと言っても短編小説にも満たない程度の些細なものなのだが、なぜ長いと感じたかというと、それはデータで送られてきたものだったからだ。

pdfにしてA4用紙20ページほど。原稿用紙なら40〜50枚ほどだろうか。よく考えればたかだか20ページなのだが、しかしなぜかpdfで20ページだと、重たく感じ、読もうとするのになんだか覚悟のようなものさえ要る。それは、パソコンの画面を連続しと同じ姿勢で見なければならないからか、右手で微妙にページを送らないといけないからか。理由はよく分かっていない。ただ、ともかく、その資料をすぐには読む気になれず、ちょっと敬遠する日が数日続いていた。
しかしとにかく読まねばならない
意を決して画面に向かってみたが、やはり数行で嫌になる。
仕方ないから、時間があって気が向いたときに読もうと、プリントアウトすることにした。
ところが。
プリントアウトしてちょっと読み始めると、あれよあれよという間に読めてしまったのだ。

これは明らかに機器の画面上にある文字を読むのと、紙という物質上にある文字を読むのとの違いではないかと思った。タブレットを持っていないので電子書籍専用の機器は試していないが、間違いなくiPhoneでは読めなかったし、何より紙を持っているということ自体が何か文章との距離を身近にし、読むことに対する気軽さを与えてくれたように思う。

これからますます電子書籍が普及すると思うが、結果的に逆に読書から遠のく人が増えないようにだけは願いたい。そのためにも、紙の本は役割を変えて残るだろうし、紙という物質の価値も変わるのだと感じた。

吉野家号

吉野家、最近こんなのもやってるのか



でも吉野家を全然知らない人が見たらキャンピングカーを改造した田舎のデコ車にも見える
デザインは紙一重だ

noda from I-phone

近江鉄道が三陸鉄道を助けている

東北岩手で被害にあった三陸鉄道を滋賀の近江鉄道が、三陸鉄道の関連商品を売って寄付しているそう
どちらも地方の赤字路線
赤字路線が販売で売り上げる額なんてしれているだろうし、
そもそも赤字路線が赤字路線を助けている、というのはなんだか変な感じもするが、何より普段はそんな気の利いたことする雰囲気の一切感じられない我が地元の鉄道の意外な行動にビックリだ
日本一と言われる高額運賃だけが取り柄ではなかったのだ


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勝手に八幡アートトリエンナーレ

八幡駅からQMACまでの道のりを、勝手にアート的なものを探して歩いてみた

1.大規模壁画作品







2.大規模インスタレーション








3.郵便局付き住居







終着点のQMACで正統な現代アートを見て完了
*QMAC(operation gallery)については九州アートBBSの記事を参照下さい

ふざけた記事で失礼しました。
でも40分の道のりはなかなか楽しかったです。

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八日目の蝉の帯の話 / no.d+a

八日目の蝉という小説が、映画化された後、その映画の世界観を表現した帯を付けると、売上が2倍になったという話。
その帯というのは一見するとカバーと思うほど、本を覆っている。逆に言えば2mmだけ本体より小さくすれば帯であることを逆手にとった広告戦略の勝利の事例だ。
でも、正直、そういう広告代理店的臭いがプンプンするものが文学にまで侵食していることに、ガッカリしてしまう。そんなに読者の見る目は無くなってしまったのか。
ACのCMが、生命保険会社や証券会社のCMとまったく変わらないことも含め、今回の震災を機にそうした広告業界の病んだ体質が変わらなければ、正直何も変わらない気がする。
自分に置き換えて言えば、広告代理店的仕事が来たりそういう立場になった時に、勇気を持って否定したり是正したりできるかどうかが問題だ。

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