勝手に八幡アートトリエンナーレ

八幡駅からQMACまでの道のりを、勝手にアート的なものを探して歩いてみた

1.大規模壁画作品







2.大規模インスタレーション








3.郵便局付き住居







終着点のQMACで正統な現代アートを見て完了
*QMAC(operation gallery)については九州アートBBSの記事を参照下さい

ふざけた記事で失礼しました。
でも40分の道のりはなかなか楽しかったです。

from I-phone

地獄内は危険です 環境省

先日休日を使って訪れたところにあった標識




地震を通して感じること諸々 /no.d+a

地震を通じて感じたことをメモしておく

1.兵役
 自衛隊の予備役の人たちが6000人ほど追加招集されたというニュースを見た
 予備役とは自衛隊で訓練を受けた経験のある民間の人というわけだが、
 これはつまりこうした訓練を受けた人が多ければ多いほど、非常時に動ける人が多いということ
 日本は兵役が無い国だが、これがもし兵役のある国だった場合、ほぼ全ての男性が非常時に動ける国だということになる
 兵役の問題と非常時の問題は別とは思うが、少なくとも兵役にはそういう側面もあるということになる
 今東北の悲劇的状況を見て、何か自分もできれば、と思う人は少なく無いはず
 しかし実際訓練を受けていない人が現地にボランティアで行っても、避難所の助けをできるぐらいで、救助活動をすることはなかなか難しいのではないだろうか
 もしも、兵役でなくとも、どこかの時点で消防訓練や救助訓練を受ける義務があり、それをほぼ全ての国民が経験していたなら、もっと助けの手が増えたのかもしれない
 シンガポールなどの幾つかの国は兵役を終えた後も定期的に訓練があるという
 兵役は無いほうがいいと思う一方で、こうした訓練の経験は必要なのかもしれない

2.戦時中の日本を想像してみる
 戦時中の日本は、日本全国が「戦争に勝つぞ」「天皇万歳」という雰囲気だった、と学び認識しているが、果たしてそうだったのか、と疑問を感じた
 むしろ、「兵隊さんたちが戦地で必死に戦っている。国内にいる我々もできることをやらないといけない」という動機が先にあり、しかしそれをそうとは誰も認識できなかったのではないか
 つまり、日本人独特の連帯感が呼んだ一体感だったのではないか、と思うのだ
 言い方を変えれば、本当に「戦争賛成」だったわけではないのではないか、むしろ戦争ということ自体に実は潜在的に無関心・無意識で、その戦地に赴いている身内や同胞への思いに深層的には意識が働いたのではないか。それが日本をなんとも言えない空気で包み、戦争反対を言えない空気にしてしまったのではないだろうか。
 同じ戦争という歴史も、軍部の台頭やメディアの扇動などから見る時と、実際のちまたの空気から見る時とでは、様子が違ってくるかもしれない

3.東京電力の努力とメディア
 東京電力は必死で頑張っていると思う。想定していたかどうかは別として、初めての経験をしているのは間違いない。いくら想定していても想定通りにはいかない。その中でもかなり高度な技術と対応で「計画停電」しているように思う。もし東京電力がそれをしなかったら、東京は突発的停電が頻発し、もっと混乱していたはずだ。それに全域が節電を頑張れば、どのグループにおいても停電させなくて済むわけで、「このグループの停電は見送りました」という報告は、本来喜ばしいものであるはずだ。
 にも関わらず、「事前連絡なし」「不手際の連続」等とバッシングされているのは、あまりに酷ではない
 もしも「いいよ。じゃあもう計画停電はやらない」と言って止めてしまったらどうするのか。
 もちろん振り回されている人々の大変さだってある。当然ストレスが溜まる。しかし、何もそれをメディアの報道が煽る必要な無いのではないか。
 何かがおかしい気がする
 頑張れ東電!負けるな東電!

4.全国ニュースは東京ニュース
 当たり前かもしれないが、つねづね、全国ニュースと言って報道されている情報は正確には東京の情報だ。東京の情報は全国の情報、全国の情報は東京の情報、となんだかジャイアン風なのだ。
 それが今回さらに強く感じられた。
 あれだけ頻繁に流していた東北のニュースは原発の話題だけになり、被災地の様子はほとんど流れなくなり、流れるのはひたすら「計画停電」のニュース。もちろん東京が日本の心臓で、そこが麻痺するようなことになったら、日本および世界の経済に影響を与えるということは理解できるが、それにしたってあまりに極端ではないか。一番被災地が混乱している時に、大勢でおしかけてやたらめったら報道したと思ったら、一番被災地が全国に伝えて欲しいであろう避難生活などの報道はそっちのけで、都内の駅に出来た長い行列を報道し、「いやあ、困りますよねえ。しっかりしてもらわないと」といった声を届けている。いったいメディアの役割とは何なのか。本当に[NEW]Sなんだとしたら、それはあんまりだ。
 仮にそうだとしたら、せめてジャーナリズムと[NEW]Sを都合の良い時に使い分けるのは止めて欲しい。
  
5.社員とフリーランスのキャスター
 どの人が社員キャスターでどの人がフリーランスキャスターかが今回の報道ではっきりした。
 24時間態勢で地震の状況を伝え、現地に行ってリポートしているのが社員。週明け通常の番組枠になって初めて顔を出したのがフリーランス。たぶん当たっている。
 たいした話ではないが、放送業界の構図が垣間見えた気がした

6.駅員さんたちの頑張り
 今回電車が運休になったりして、ふと思った。
 「だいたい駅員さんたちはどうやって出勤しているんだろう」と。
 日常的にはたぶん交代制なんだろうと予想する。終電まで担当した人は次の日の昼ぐらいに帰る。始発を担当する人は終電前に出勤する。のかなと。あくまで予想だが。もしかすると車だろうか。
 いずれにしても、今回のような非常時。車も、渋滞とガソリン不足で、利用が難しく、電車自体も止まったり動いたりしている中で、いったい駅員さんたちはどうやって勤務先と家を往復しているのだろう。泊まり込み体制だろうか。
 色々想像することしかできないが、実は陰ながら凄く大変なことをしている方々なんではないかと思った。

6.海外から来ていた人たちの混乱ぶりから
 日本人以上に、海外からの留学生や観光客、仕事で赴任している人などが、けっこうパニックになっているそうである。知人のドイツ人の人は早々に都外に脱出し、福岡から東京観光に行っていた留学生たちは帰国してしまったそうだ。
 最初聞いた時は、なんて大げさな反応だ、と思った
 が、その裏には深く考えると背景が色々ありそうだ。
 まず、政府やメディアに対する信用度。おそらく根本的に全然政府やマスメディアを信用していないのだと思う。それは良い言い方をすれば、自分のことは自分で責任をとる、ということ。後から、「あの時政府やメディアは大丈夫と言ったじゃなないか」と言って後悔するのは嫌だと思っているのだと思う。
 そこには、本来の個人主義、そして民主主義があるようにも思った
 次に、情報不足だ。もしも自分がまったく字が読めず、言葉が分からない国で被災して、流れてくる情報が映像や新聞の写真だけだったなら、それは確かにパニックになりそうだ。実際9.11の時スペインにいて、近い感覚を覚えた。なにせ最初はその映像がニュースなのか映画の宣伝なのかさえ分からないぐらいだったからだ。原発の爆発も、正確な専門情報はテレビを見ても何を言っているか分からないし、映像を見る限り間違いなく原発施設が爆発している。そしたらもう逃げるしかないのだ。つまり海外の人にとって、これほど日本語以外の情報が得れない先進国は無いと感じたのではないだろうか。
 国際化している都市かどうかは、もしかするとこういう時にはっきりするのかもしれない。

と、色々備忘的に書いてはみたものの、どれも結局安全なところに居る人間のたわ言に過ぎず、
正直書いている自分にむなしさと罪悪感さえ覚えてしまう

阪神淡路も福岡西方沖も体験したが、今回はその100倍だったと聞く
もうまったく想像もできない次元だ。

一刻も早い東北の復興を心から願い、出来る事からやりたいと思う

感想『ロボットとは何か』(石黒浩 著) / no.d+a

『ロボットとは何か』(石黒浩著 講談社現代新書)を拝読

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人はなぜ生きているのか どこに向かっているのか

最近漠然と考えてしまう事がなぜか増えてきた

経済原理以外の有効な、全ての人が共有できる原理はなかなか見出せない今の時代を感じると、
だいたいそもそも人間はなぜ生きているんだろう、と自然に考えてしまうからなのかもしれない

どこからやってきて、どこへいくのか
何かの目的があるのか そもそも終わりはあるのか
しかし終わりのないものなどあるのか
なぜこれほど複雑な構造をもった生物が存在する必要があるのか

疑問はつきない

僕の足りない頭と経験では、まったく見えない

でも、この疑問は別に僕だけのものではなく、
人にとっての永遠の大きな疑問だ
もしかすると実は人間はこの疑問を抱き続けるようにしかプログラムされていないのかもしれない

しかし実際はこの疑問に正面から取り組んでいる人はそれほど多くないのではないか
答えが出ないかもしれないことに取り組むことはつらいことだし、
先の見えない難問に取り組みむことを生業にして今の社会で生活するのは簡単なことではないと思う

でもこの本の著者である石黒浩氏はそれに真っ向から取りんでおられる
そう思った

この本は、題名は「ロボットとは何か」だが、実際は「人とは何か」について書かれていると感じた

しかもロボット研究という社会的意義と需要がある分野の研究を通して取り組んでおられるので、
まさにこの永遠の疑問に取り組むことを生業とされている

その上、現実社会と切り離されていないし、一部の研究者や業界・分野の間でしか成立しない話で終っていない。
むしろ日常生活との距離をかなり近く感じる研究と実践で、色々ある経済学研究や政治学研究、または、種々の工学研究なんかより、現実的にも意義が凄く高いように感じた
いわゆる重箱の隅を突く研究とは完全に一線を画してる
いわば、本当の意味での「研究」という仕事の社会的役割を果たされているように思えた

ロボットを限りなく人間に近づけようとする過程で、
哲学・芸術・心理学・社会学と幅広い分野を横断し思考されていて、
それらを含めて工学研究されている

もちろん読者に気を遣ってそうされていると思うが、
工学的な専門用語はほとんど出て来ないで、分かり易い言葉だけで説明されているのは、
その辺のそうした他分野と連携・連動されながら研究しておられる日頃の思考も影響しているのではないかと思う

だから哲学書を読んだ後のような、なんとも言えない、ますます疑問が深まるばかりの気持ちではなく、
なぜか、疑問は全然解消されていないのに、読み終えると清々しい気分にさえなってしまった

と同時に、この人答え出してしまはるうんちゃうやろか、とさえ思えた

そして、仮に石黒さんご自身は答えにたどり着けなくても、
石黒浩さんという「人」を研究することがそのまま、人とは何か、の研究になってしまう気さえした

とにかく面白い著書と著者

ちなみに8月にある紺屋サマースクール2011の特別講師をして頂く予定
今からむちゃくちゃ楽しみだ
(だからいい風に書いているのではけしてありません)









大阪のたこ焼き屋の問題で

大阪の道頓堀で、市道を不法に占拠して営業し、市が立退きを求めている問題。朝日放送は、市役所職員が行き過ぎた立退き交渉で逮捕されたことを、あたかもちょっと気がおかしい市の職員が嫌がらせをした、というニュアンスで報道して、肝心な不法占拠には触れなかった。その一方でフジは、不法占拠しているたこ焼き屋がある話のみ報じて、市役所職員が逮捕されたことには一切触れなかった。

メディアの情報編集は、本当に大きな影響力があることをもっと自覚して欲しいと切に思う。不法占拠に至る経緯や背景、土地柄、習慣などもあるだろうし、立退き交渉にもそこに至る経緯があるはず。メディアはそこもちゃんと伝えるべきだし、むしろそういった様々な視点を与えるのが役割なのではないだろうか。


from I-phone