地震を通して感じること諸々 /no.d+a
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11.03.15
地震を通じて感じたことをメモしておく
1.兵役
自衛隊の予備役の人たちが6000人ほど追加招集されたというニュースを見た
予備役とは自衛隊で訓練を受けた経験のある民間の人というわけだが、
これはつまりこうした訓練を受けた人が多ければ多いほど、非常時に動ける人が多いということ
日本は兵役が無い国だが、これがもし兵役のある国だった場合、ほぼ全ての男性が非常時に動ける国だということになる
兵役の問題と非常時の問題は別とは思うが、少なくとも兵役にはそういう側面もあるということになる
今東北の悲劇的状況を見て、何か自分もできれば、と思う人は少なく無いはず
しかし実際訓練を受けていない人が現地にボランティアで行っても、避難所の助けをできるぐらいで、救助活動をすることはなかなか難しいのではないだろうか
もしも、兵役でなくとも、どこかの時点で消防訓練や救助訓練を受ける義務があり、それをほぼ全ての国民が経験していたなら、もっと助けの手が増えたのかもしれない
シンガポールなどの幾つかの国は兵役を終えた後も定期的に訓練があるという
兵役は無いほうがいいと思う一方で、こうした訓練の経験は必要なのかもしれない
2.戦時中の日本を想像してみる
戦時中の日本は、日本全国が「戦争に勝つぞ」「天皇万歳」という雰囲気だった、と学び認識しているが、果たしてそうだったのか、と疑問を感じた
むしろ、「兵隊さんたちが戦地で必死に戦っている。国内にいる我々もできることをやらないといけない」という動機が先にあり、しかしそれをそうとは誰も認識できなかったのではないか
つまり、日本人独特の連帯感が呼んだ一体感だったのではないか、と思うのだ
言い方を変えれば、本当に「戦争賛成」だったわけではないのではないか、むしろ戦争ということ自体に実は潜在的に無関心・無意識で、その戦地に赴いている身内や同胞への思いに深層的には意識が働いたのではないか。それが日本をなんとも言えない空気で包み、戦争反対を言えない空気にしてしまったのではないだろうか。
同じ戦争という歴史も、軍部の台頭やメディアの扇動などから見る時と、実際のちまたの空気から見る時とでは、様子が違ってくるかもしれない
3.東京電力の努力とメディア
東京電力は必死で頑張っていると思う。想定していたかどうかは別として、初めての経験をしているのは間違いない。いくら想定していても想定通りにはいかない。その中でもかなり高度な技術と対応で「計画停電」しているように思う。もし東京電力がそれをしなかったら、東京は突発的停電が頻発し、もっと混乱していたはずだ。それに全域が節電を頑張れば、どのグループにおいても停電させなくて済むわけで、「このグループの停電は見送りました」という報告は、本来喜ばしいものであるはずだ。
にも関わらず、「事前連絡なし」「不手際の連続」等とバッシングされているのは、あまりに酷ではない
もしも「いいよ。じゃあもう計画停電はやらない」と言って止めてしまったらどうするのか。
もちろん振り回されている人々の大変さだってある。当然ストレスが溜まる。しかし、何もそれをメディアの報道が煽る必要な無いのではないか。
何かがおかしい気がする
頑張れ東電!負けるな東電!
4.全国ニュースは東京ニュース
当たり前かもしれないが、つねづね、全国ニュースと言って報道されている情報は正確には東京の情報だ。東京の情報は全国の情報、全国の情報は東京の情報、となんだかジャイアン風なのだ。
それが今回さらに強く感じられた。
あれだけ頻繁に流していた東北のニュースは原発の話題だけになり、被災地の様子はほとんど流れなくなり、流れるのはひたすら「計画停電」のニュース。もちろん東京が日本の心臓で、そこが麻痺するようなことになったら、日本および世界の経済に影響を与えるということは理解できるが、それにしたってあまりに極端ではないか。一番被災地が混乱している時に、大勢でおしかけてやたらめったら報道したと思ったら、一番被災地が全国に伝えて欲しいであろう避難生活などの報道はそっちのけで、都内の駅に出来た長い行列を報道し、「いやあ、困りますよねえ。しっかりしてもらわないと」といった声を届けている。いったいメディアの役割とは何なのか。本当に[NEW]Sなんだとしたら、それはあんまりだ。
仮にそうだとしたら、せめてジャーナリズムと[NEW]Sを都合の良い時に使い分けるのは止めて欲しい。
5.社員とフリーランスのキャスター
どの人が社員キャスターでどの人がフリーランスキャスターかが今回の報道ではっきりした。
24時間態勢で地震の状況を伝え、現地に行ってリポートしているのが社員。週明け通常の番組枠になって初めて顔を出したのがフリーランス。たぶん当たっている。
たいした話ではないが、放送業界の構図が垣間見えた気がした
6.駅員さんたちの頑張り
今回電車が運休になったりして、ふと思った。
「だいたい駅員さんたちはどうやって出勤しているんだろう」と。
日常的にはたぶん交代制なんだろうと予想する。終電まで担当した人は次の日の昼ぐらいに帰る。始発を担当する人は終電前に出勤する。のかなと。あくまで予想だが。もしかすると車だろうか。
いずれにしても、今回のような非常時。車も、渋滞とガソリン不足で、利用が難しく、電車自体も止まったり動いたりしている中で、いったい駅員さんたちはどうやって勤務先と家を往復しているのだろう。泊まり込み体制だろうか。
色々想像することしかできないが、実は陰ながら凄く大変なことをしている方々なんではないかと思った。
6.海外から来ていた人たちの混乱ぶりから
日本人以上に、海外からの留学生や観光客、仕事で赴任している人などが、けっこうパニックになっているそうである。知人のドイツ人の人は早々に都外に脱出し、福岡から東京観光に行っていた留学生たちは帰国してしまったそうだ。
最初聞いた時は、なんて大げさな反応だ、と思った
が、その裏には深く考えると背景が色々ありそうだ。
まず、政府やメディアに対する信用度。おそらく根本的に全然政府やマスメディアを信用していないのだと思う。それは良い言い方をすれば、自分のことは自分で責任をとる、ということ。後から、「あの時政府やメディアは大丈夫と言ったじゃなないか」と言って後悔するのは嫌だと思っているのだと思う。
そこには、本来の個人主義、そして民主主義があるようにも思った
次に、情報不足だ。もしも自分がまったく字が読めず、言葉が分からない国で被災して、流れてくる情報が映像や新聞の写真だけだったなら、それは確かにパニックになりそうだ。実際9.11の時スペインにいて、近い感覚を覚えた。なにせ最初はその映像がニュースなのか映画の宣伝なのかさえ分からないぐらいだったからだ。原発の爆発も、正確な専門情報はテレビを見ても何を言っているか分からないし、映像を見る限り間違いなく原発施設が爆発している。そしたらもう逃げるしかないのだ。つまり海外の人にとって、これほど日本語以外の情報が得れない先進国は無いと感じたのではないだろうか。
国際化している都市かどうかは、もしかするとこういう時にはっきりするのかもしれない。
と、色々備忘的に書いてはみたものの、どれも結局安全なところに居る人間のたわ言に過ぎず、
正直書いている自分にむなしさと罪悪感さえ覚えてしまう
阪神淡路も福岡西方沖も体験したが、今回はその100倍だったと聞く
もうまったく想像もできない次元だ。
一刻も早い東北の復興を心から願い、出来る事からやりたいと思う
暗黙の了解は高度な文化を生む / no.d+a
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11.03.03
あるいつも配達を頼んでいるお弁当屋さん
いつもらったか分からないので、けっこう前のものなのかもしれないが、メニュー表が事務所にあって、
それを見ていつも注文している。
前といってもせいぜい1〜2年の話だと思うのだが。
このメニュー表にある料金、実は実際の料金と違う
これが実際の価格より高いと困るのだが、その逆で、安いのだ。
それが全部そうなのか、一部そうなのか、は分からない
そしていつから改訂されたのかも分からない
店頭の値段と配達の値段が一緒なのかどうかもさえも知らない
だからメニュー表を見て頼む時、一応値段なんかも見て考えるわけだが、
たいていは思っていたよりも20円ぐらい安い料金を請求される
思っていたよりも安いもんだから、なんとなく得した気分になるので、
正しいメニュー下さい、とは言わず、ずっとこのメニューを使っている
ところが今日、ご飯抜きのおかずだけ、というのをスタッフが頼んでみたら、
メニューにある値引き額よりも少なかった
でもなぜか、ええー!、という気分にはならなかった(彼はなったかもしれないが。。。)
メニューが古いだけかもしれないから非はうちにあるかもしれないし
でも作成した日付の入っていないメニュー作るなんて、
このご時世一歩間違ったら、「ここには料金が変わるかもしれません、なんて無いじゃないですか!日付もないし!この料金にして下さい!」とか言われそうな時代なのに、かなりリスキーだ
でも、そういう「いい加減」なところが悪く無いなと思ってしまう
まあまあ、そういうこともあるんだし、ここで「書いてあるのより高い!」なんていったら野暮
それなら、今まで安かった分に対して、「書いてあるのより安いから多く払います!」て言わないといけない
と思う
他にもある
近くにあるアジア系料理屋さん
昨年の今ぐらいに「割引カード」なるものを発行した
最初に幾らかまとめて払って入ると、それを見せるたびにランチが割引になる
この割引率がかなり良くて、近いこともあり、頻繁に通うことになった
既に元は完全に取っている
このありがたいお得な割引カード
実は有効期限は昨年末だった
ところが、知らずに年明け見せてみると、使えてしまった
「あ、有効期限年末にしてしましたっけ?まあ、年度末ぐらいまでは使えるようにするつもりですから」
だそう
これはヘビーユーザーにとってはありがたい話
でも中にはちゃんと期限を守って、捨ててしまった人もいるかもしれない
そんな人が知ったら「えー!!そんなのちゃんと言って下さいよ!」となりそうなもんだ
それに「あ、やっぱりそれもう使えないことにしました」と急に言われる可能性もあるが、
その時に「こないだ年度末までって言ったじゃないですか!」と言ってしまったら、それは野暮だ
こういう、なんとも言えない、あいまいなこと
そしてお互い、まあ細かいことは言いっこ無しで、という関係
これを「暗黙の了解」と言ったら、使い方が間違っているかもしれないが、
とにかく、ちゃんと確認しあったわけでもないけど、お互いなんとなく理解している、ということに間違いはない
こういうことって、重要だし、良い文化だと思う
当たり前になり過ぎるとまずいし、「そんなことこういう時は当たり前だろ」とどちらかが言い始めたら、
間違いなく、ちぐはぐになってもめる。
これだけ多様な価値観をもっている人がいる社会と時代になって、
ますますそれが原因で問題になっていることがたくさんある。
建築の構造偽装の裏にあった設計事務所と構造事務所の関係だって、
食品会社の偽装表記だって、それが原因だと思う
その業界ではそれが当たり前、となってしまって、それが本当は良く無いことだということが忘れ去られ、
他の業界や正当な基準のスポットが当てられたら、大問題として噴出してしまう
でも、「これは本当はこうあっちゃいけないんだけど、まあいいじゃないか」ということは
時に文化を生んだり、維持したりすることに力を発揮することもあると思う
例えば相撲なんてそうだったんじゃないかと思う
大相撲は最初からスポーツとして始まったわけではない
どちらかというと今で言うエンターテイメント。まさに興行だったはずだ。
取り組みなんて場所中に星の数を調整する感じで決められて行くし、全然公平ではない
下位の力士でも、勝ち続けると、通常なら当たらないはずの上位陣と当てられてしまう
もしスポーツとしての公平性をいうなら、場所前にくじ引きかなんかで、全日程の取り組みを決めるべきだ
もしくは、トーナメント制か総当たり制にでもしないといけない
でないと、本当にその場所で優勝した力士が最強の力士であるとは証明できない
でもくじ引き制なんかにしたら、全然面白く無い
くじ運の良かった力士が上位と当たらずに全勝優勝ってことが起こってしまう
かといってトーナメント制だとあっという間に日程が終了するし、最終日なんて決勝の1番で終ってしまう
総当たり制にしたら逆に時間がかかり過ぎて15日間では終らない
要するに今のしくみを見れば、興行性に重きが置かれているのは一目瞭然だと思うのだ
つまり、人は、相撲をスポーツではなく、プロレスに近い、興行だと思って見てきたはずだ
たまに大技が出たり、下位の力士が上位陣を破ったり、長丁場の大相撲が展開されたり
「これ本当は一部芝居が入っているかもしれないけどなあ」
と認識しながらも、それに目をつぶって、あたかも真剣勝負であるかのように楽しむわけだ。
もちろん興行側は、表向きは「もちろん真剣勝負です」「正真正銘のスポーツです」としか言えないが、「そんな野暮な質問するなよ」って気分が本音ではないか。もしくはそういう質問をする人も知っていてあえてしている文化もあって、それにはそう答える、みたいな感じだったかもしれない。
ところが今回の事件は、ある意味、見る側が暗黙の了解を破った、とも言える
興行側にしてみたら、えー!そんなの当たり前じゃないか!言いっこ無しだろ!!って気持ちじゃないのか
もちろん金銭的なやり取りのある、買収による八百長、は良く無い
もしそれに賭博までからんでいたなら、それはまた別の問題
でも、プロレスファンがけして、「おいそこで締めて終らせてしまわないのは変だろ!手抜きだ!」と開始数分の段階で言わないのと同じで、まさに言いっこ無しの暗黙の了解が成立させていたのではないか。
暗黙の了解さえ許さなくなった時代
奥深く、高度な文化ほど、こういう時代には不向きだ
しかし果たしてそれが人間にとって失って良いものなのかどうかは分からない
テレワークとAIP
カテゴリ:IT , 些細なことは気にするな , 日本 , 紺屋2023 , 都市マーケティング
11.03.03
WBSでテレワーク(在宅勤務)の特集が組まれていた
SkypeやiChatを利用して会議などが遠隔でも出来るようになってきたからだそう
しかしそうした技術を先駆けて使ってきたIT業界の流れはちょっと違う
紺屋2023に入居するAIPは、それまで在宅で仕事してきたフリーランスの人たちがわざわざやってきて仕事している
なんだか不思議な感じだ
from I-phone
新年あけましておめでとうございます
カテゴリ:広報 NEWS , 建築 , 新着情報 , 日本 , 福岡 , 紺屋2023 , 自分
11.01.06
旧年中はたいへんお世話になりました
昨年は、
アーバンデザイン賞2010(アーバンデザイン研究体)、
福岡市都市景観賞2010、などの賞を頂戴し、改めて見の引き締まる思いがしました。
本年も精進して参りますので、
相変わりませずどうぞよろしくお願い申し上げます
no.d+a 一同
JALの子供のためのワクチン募金活動@羽田空港
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10.12.17
羽田空港でたまたまJALが世界の恵まれない子供のワクチンのための募金活動に遭遇。何の気なしに手元にあった小銭を募金。
すると思いがけずお返しの品をもらった。それは実際にパイロットが使っている世界の航路地図がプリントされたブックカバーで、なかなか良かった。
なんとなく、これはイイな。もう一つぐらいあってもいいかも、と思い歩いていると、またまた別の場所で募金活動に遭遇。思わずまた募金してブックカバーをもう一つもらった。
でも・・・
「これはなんかちがう」
と若干の後悔と違和感が残ってしまった。
from I-phone