客席オールスタンディングで勘太郎に拍手

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九州新幹線全線開業記念として開催された博多座の3月の「桜壽博多座大歌舞伎」、
ご存じのように体調不良のため、中村勘三郎が休演することとなり、長男の中村勘太郎が代役公演となりました。

夜の部はコクーン歌舞伎や平成中村座でお馴染み「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」。

これは串田和美演出・美術で、ニューヨークやベルリンなど海外でも大評判だった話題作。
大阪で見ましたが、勘三郎だからこそ演じられるという評判の舞台です。

たぶん、大勢の方がそう思い、勘三郎の「夏祭...」、それも九州では初演となるこの舞台を見たくて18000円もするチケットを買ったことでしょう。
私ももちろんその一人です。
それが勘三郎休演、勘太郎が代役をやると聞いて、「大丈夫だろうか?」とこれまた多くの人が感じたはずです。

しかし私は何を隠そう、勘太郎のファンでして、彼の成長を見守っている一人なのです。
2月には東京で勘太郎と藤原竜也の「ろくでなし啄木」も見てきました。

博多座の初日は3月2日。
実は勘太郎、その「ろくでなし啄木」に2月26日まで出演していました。
それも半端じゃない台詞の量と動きでした。
いったいいつ「夏祭...」の練習をするのだろうか?と心配もしました。
もうこれは見守るしかないだろう!失敗と言われてもいいじゃないか!
でももしかしたら、歴史的な舞台を見ることになるかもしれないという予感もありました。
というのも、いずれ勘太郎がこの舞台をやるはずで、
その初演をどこよりも早く、博多で見られるのだと思ったら、急に楽しみになったのです。

そして...歴史的な舞台に立ち会ったと確信しました!

若いので台詞の深みはまだまだと思いましたが、立ち居振る舞い、動きに切れがあり、若さあふれる芝居です。
そして表情がすごい!写楽の役者絵を思わせる迫力あるものです。

コクーン歌舞伎、平成中村座で主人公・団七にどろどろになりながら殺される義理の父親・義平次を演じる笹野高史さん(淡路屋の屋号も持ってますが、歌舞伎界のひとではありません。自称・民間出身)が自身のツイッターでこんなことをつぶやいているのを発見しました!

「中村勘太郎さんの、団七が見ものだと発信いたします!相手役からの発信です!すでに若手歌舞伎俳優ではピカイチの存在ですが、父上様の当たり狂言という、もう一つプレッシャーがプラスされての役!光が発射されているかのような、立ち姿は惚れ惚れします!!」

これがすべてを物語っています。
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最後の捕り物場面「屋根上」は団七を捕らえようとする立ち回りが見ものですが、
この場面での勘太郎の動きがタダモノではない!

串田演出独特のセットが斬新で、この最後の場面で大いに盛り上がり幕を閉じました。

幕が終わっても拍手が鳴りやまず、オールスタンディングで拍手をするなんて、歌舞伎ではあまり体験しないことも起こりました。

演出の串田和美さんも博多座においでで、出演者に呼ばれて檀上に。
勘太郎にふさわしい演出をされていたのかなあと想像しました。

アートの森の小さな巨人...と名付けられたハーブ&ドロシー

残念ながら3月18日で映画は終了してしまいましたが、もしチャンスがあればぜひご覧ください。
映画公式HP『ハーブ&ドロシー』
ニューヨークに住む普通の夫婦の話です
でも違っていたのは!
夫妻はものすごいアートコレクターだったのです!

ハーブ・ヴォーゲルは1922年生まれ、高校を中退して郵便局に勤めていました。
ドロシー・ヴォーゲルは1933年生まれ、大学院を卒業後、公立図書館に司書をしていました。

1962年に結婚し、それからハーブは夜学で美術を学びます。
ドロシーは特に美術には興味なかったのですが、ハーブの影響で猛烈に美術に詳しくなっていきました。

そして、二人がはじめたのがアートコレクションです。

ドロシーの給料を生活費に充て、ハーブの給料をすべて現代美術品を購入する費用に充てました。
1LDKのアパート住まいだったので、二人が決めたアート購入の約束は
①ハーブの給料で買えることと
②アパートに入ること
 
でした。
そこで、作品をミニマルアートとコンセプチュアルアートに絞ります。
ニューヨークである展覧会にはほとんどすべて足を運び、直接アーティストと交渉して購入します。

彼らが買いたいと思う作品の基準は「美しい・きれい」「気にいった」だけ。
展覧会の初日、客たちがワインなどを片手に語り合っている中、二人は真摯に作品を見て回ります。

そして40年の歳月をかけて集めた作品の数、4,782点。

購入した作家たちの顔ぶれは、
ドナルド・ジャッドクリストとジャンヌ・クロードリチャード・タトルチャック・クロース
など、今や世界的なアーティストたち。

こんなドラマチックな話は実話で、このドキュメンタリー映画を撮ったのが日本人の女性監督・佐々木芽生(めぐみ)さん。
夫妻のことはアメリカでは有名で、映画にしたいと申し出る監督やプロデューサーは数多くいたようですが、実現させたのは彼女だけでした。
撮影には4年間の歳月をかけたので、夫妻はすっかり監督を信頼していたようです。

ただ1場面、カメラが外に出されたことがありました。
それは、作家との値段交渉場面でした。
 
クリストのドローイングが欲しいとアトリエを訪れたら、あまりに高価で手が出なかったそうですが、後日、クリストのパートナーであるジャンヌが夫妻に電話してこう告げたとか。

「私たちは制作で家を長期間空けるけど、その間、猫を預かってくれたらドローイングを譲っても良いけど」と。

夫妻、大の猫好きで、もちろんすぐにOKの返事をして、クリストの有名な「ヴァレー・カーテン」(コロラド州ロッキー山脈の400メートルに及ぶカーテン)を手に入れたのです。

夫妻は収集したコレクションを1点もお金に換えることなく、1992年、コレクションのすべてをアメリカ国立美術館ナショナルギャラリーに寄贈することを決意しました。
1000点余りは同美術館の永久保存となり、残りは全米50州の美術館に50点ずつ寄贈したのです。

まるで、嘘のような本当の話。

アートとともに生きるって、地位やお金がなくとも可能だということをハーブ&ドロシーが教えてくれました。

『ベンダ・ビリリ!~もう一つのキンシャサの奇跡』を自主上映します

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「映画業界は不況知らず」なんて言われていた時代がありました。
でもここ数年、まさかと思うような配給や小さな劇場が次々つぶれています。

映画宣伝は簡単に言うと、その映画を広く知ってもらう事がお仕事。
でも情報を露出してくれる媒体も不況で営業の話しかできないような、何だか社会全体がギスギスした感じ。そんな中、例えば新聞に広告1本出しただけで宣伝費がなくなってしまうような予算のない映画ばかりを抱えて、一体どうやって、何のために映画を"宣伝"するのか分からなくなってきた...と目標を見失っていた時にこの映画に出会いました。

"車椅子や松葉杖で生活するストリートバンドのサクセスストーリー"
「ちょっと重そう」「ターゲットが絞られるタイプのドキュメンタリーだな」
と思いました。

でもこの映画は、そんな野暮な先入観や思い込みを鮮やかに裏切る作品でした。

たくましく、どこまでもポジティブ!
彼らの音楽も生き方も、とにかく全てがカッコよかった。粋でした。
いい映画に感化される、久々に目が覚めるような興奮を味わいました。

「必ず路上生活から抜け出す!」「おれたちは成功する!」
ポリオが原因で障害を持った彼らですが、安い同情なんて全く寄せ付けません。バイクを改造したイカした車椅子に乗り、ちょい悪オヤジファッションで町を流すビリリのメンバー。貧しいストリートキッズを雇ってやったりもするし、家族はもちろん子だくさんで、ミュージシャンとしてだけでなく手に職を持って、地にしっかり根付いた生活をしています。

そして"路上生活者のスポークスマン"を自負している彼らの歌と歌詞がいい。

段ボール(トンカラ)で寝てた俺がマットレスを買った
同じことが起こりうる お前にも 彼らにも
人間に再起不能はない 幸運は突然 訪れる
人生に遅すぎることは絶対ない ~「トンカラ」より

彼らは空き缶で作った手作りの一弦楽器を演奏し、家族を養おうとしている1人のストリートキッズ・ロジェと出会い、バンドの重要なメンバーとして、またある時は親子のように育てていきます。
一方で、ビリリに惚れ込み、一文無しになっても彼らの素晴らしさを世界に発信したいと奮闘する監督たち"映画人"の物語も同時進行。
5年の歳月の間に、出来すぎたドラマのように彼らを襲う困難の数々。
しかし、そのたびにバンドのリーダーでもあるパパ・リッキーは「そんな日もあるよ」と前向きにメンバーを、そしてカメラの向こうにいる監督たちを励まします。
やがて彼らが練習場所にしている動物園での野外録音を経て、待望のアルバムが発売。その確かな音楽性で彼らはたちまちヨーロッパツアーを行うまでに成長します。

これは彼らのサクセスストーリーであり、ロジェの成長物語であり、なにより監督たちと彼らの信頼の物語でもあります。

この素晴らしい映画との出会いをきっかけに、映画宣伝というものを改めて見つめなおすいい機会になりました。「映画の良さを、たくさんの人に伝えたい」そんな初心にかえった純粋な気持ちで行う上映イベントです。ぜひ、お越しください。
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