メディアの隔たり

昨今の建築家はある程度有名な人なら延べてどこかの大学で教えていることが多い。
大半が国内の大学だが、少しだけ海外の大学で教えている人もいる。
以前たまたま訪れたシンガポールの大学で、ある建築家が教えておられることをそこで知った。失礼な言い方になるが、けして超がつくほどの有名人ではない。でも建築家の端くれならまず知っているであろうぐらいの方ではある。
しかし、そこで教えておられることは全然知らず、驚いた。正直、最近お名前を見聞きしてなかったので、ここにおられたのか、という印象だった。

しかし、つまりそういうことなのだと思った。

海外の大学に移ってしまったり、海外に事務所を移したりすると、すっかり国内のメディアに登場する機会が減り、国内の人から忘れられてしまうのだ。変わらず作品をしっかり作っていてもだ。
この関係は国内外においてだけでなく、国内の東京内外においても言えるだろう。地方に行ってしまうとメディアから消えてしまう。

これはなんだか変ではないだろうか。

おそらく取材経費がかさむなどの理由があるのだろうけど、何もわざわざ現地に行かなくても出来ることはあるはず。むしろそうした人たちをうまく使って、各地域の情報を集めたりすればいい。様々な地域に飛んだ建築家たちがそこで何を見て、感じ、作っているのか。気になる人は多いし、メディアめ得ることも多いはずだ。シンガポール通信の連載とか、今アジアが注目される中、大変面白いと思うのだが。

しかし、どうもそんなことが起きそうな気配はない。
自分にも言えるが、どうしても人間は物理的距離に思考が影響を受ける。それがおそらく原因だろう。
福岡にいれば、やはり福岡のことや人が近しく感じてよりリアルに想像できるし、関西に行けば関西が、関東に行けば関東が、そうなる。新幹線に乗って博多から京都に移動してると、本当にその思考の変化を面白いぐらい感じるから、これはたぶん間違いない。
だからいくらメディアがグローバルに考えようとしても、所詮人ならが一箇所にしか居ない限り、考えがどうしても及ばないのだろう。

情報技術が進み、どこに居ても情報が得られるようになったが、それが原因で動かなくなってしまったら、元も子もない。特にメディアはむしろより拠点をより増やす必要があるのではないだろうか。

それはメディアだけでなく、自分にも言えることだ。出来る限り自分で見聞きし、出来る限り拠点を複数持つ。そんな状況を目指したい。

リンとルーヤンによる灯明アート

アジ美に滞在中のアーティスト、リン(ベトナム)とルーヤン(中国)の二人が、博多灯明に参加。
ルーヤンは映像、リンはレイアウトの作品の様です
雨で他のイベントが中止になり不運でした。

なお、二人の滞在成果発表の初日は、こちらのLuisaのオープニングと同じ日です。彼女たちのオープニングは昼間にあるので、12日はぜひ、アジ美ー紺屋のコースでアートな土曜日を楽しんで下さい






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なんでジェニファーチヨダ

役所提出用書類の記入例を見ていたら、なぜか海外の人向けの見本の氏名欄に記入されている名前が
ジェニファー・チヨダ
日本人向けは福岡太郎とかなのに、なぜ。。。

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吉野家号

吉野家、最近こんなのもやってるのか



でも吉野家を全然知らない人が見たらキャンピングカーを改造した田舎のデコ車にも見える
デザインは紙一重だ

noda from I-phone

たまに働く人の数が変わる事務所 / no.d+a

今日はなぜかうちの事務所で淺井裕介君が仕事中
こないだは友人がこっちでの知り合いの結婚式のための映像制作してたし、なんだか最近働く人の人数が変わります
不思議な事務所



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