JALの子供のためのワクチン募金活動@羽田空港

羽田空港でたまたまJALが世界の恵まれない子供のワクチンのための募金活動に遭遇。何の気なしに手元にあった小銭を募金。
すると思いがけずお返しの品をもらった。それは実際にパイロットが使っている世界の航路地図がプリントされたブックカバーで、なかなか良かった。
なんとなく、これはイイな。もう一つぐらいあってもいいかも、と思い歩いていると、またまた別の場所で募金活動に遭遇。思わずまた募金してブックカバーをもう一つもらった。
でも・・・
「これはなんかちがう」
と若干の後悔と違和感が残ってしまった。

from I-phone

日本の「技術」が負っている役割

日本は技術大国 ものづくり日本だ 技術を守れ
などとよく叫ばれる昨今。

しかし、そういう言葉を聞く時に思い浮かぶのは、自動車製品関係や電化製品関係ではないだろうか。

ちょっと前の話になるが、日経新聞の11月の「私の履歴書」は三菱重工相談役の西岡氏だった。

西岡氏の綴られた半生の中に出て来るのは、そういうイメージの技術ではなく、
もっと責任の重たい「技術」だった。

戦前の零戦をはじめとする軍戦闘機の開発をしていた三菱重工は、その後しばらくの空白期間を経て、
アメリカなどと共同で軍用機の開発を再開する。
もちろん攻撃ではなく防御のための機であるが、そうは言っても軍用機。

僕の「技術」への甘いイメージは、大きく覆された。

西岡氏は
「国を守る上で軍用機開発と生産の技術力を落とすわけにはいかない」
と言われる。

なるほど、技術は国防にとっても重要な要素だったのか。

考えれば当たり前のことだが、改めて言われてぎくっとした。

三菱重工と言えば、建築系の僕にとってはエアコンメーカーのイメージ。
そうでなくても、今回の履歴書は一般の人にとっても少々刺激的な内容だったのではないかと思う。

そういう視点から如何に技術を生み出し守ることが重要か。
海外へ技術移転をする重要性とあわせて見るべき視点だと実感した。




人のこころ 

白鵬の連勝記録が期待された九州場所だったが、あっけなく2日目に負けてしまい、たいへん残念だった。果たしてもう一度双葉山の記録が破られる瞬間に立ち会えるチャンスはあるだろうか。

負けた白鵬は
「途中で勝ちに行ってしまって負けた。心と身体がバラバラになる気がして休場も考えた」
と漏らしていた。

あれほど冷静沈着な取り口と振る舞いの白鵬からは想像のつかないことだが、双葉山や大鵬でさえその場所に優勝できなかったことを考えると、それでも気持ちのコントロールに長けた横綱なのだと改めて思った。

人のこころとは本当に無常なものだ

最初はこれで充分と思っていたことでも、ちょっとした状況や心境の変化で、その認識は大きく変わる。

平和でさえあればいい
そう思っていても、もっと豊かに、もっと安全に、もっと健康的に、となる。

仕事があるだけでも充分 職につけただけでも充分
そう思っていたはずが、こんな仕事はしたくない もっと割のいい仕事がしたい こんな職場は嫌だ こんな上司は困る もっと待遇を良くして欲しい
となってしまう

彼とは一生の親友だ
と言っていた関係が急にぎくしゃくすることだってあるし、
あんな奴死んでも友達にはなれない
と思っていた相手がふとしたことで親友になったりする。

昨日までは安定していた心がある日突然なんとなく不安定になる

そんな風に人のこころは移り変わっていき、そういう小さな変化が他人へ影響を与え、
最終的に社会の空気や世論を作り出したりさえしている。

初心忘れるべからず

誰しもこの言葉の重要性はよく分かっているはずだが、
心が安定していたり、心に余裕がある時にこの言葉を思い出すのはたやすい。

しかし、この言葉を忘れるような状況の時こそ真価が求められる。

どうやって常に平静で冷静な自分を維持できるか
どうすれば信念や判断の軸がぶれないでいられるか

古今東西問わず、人間の永遠の課題であり、醍醐味でもあるのだ。




iTunes BEATLES 映像

iTunes で BEATLESの Live at Washington Coliseum ,1964 が無料で視聴できると知って、お昼がてら見てみた。

あまりビートルズは詳しくなく、映画を見たりしたことがあるぐらいで、CDも持っていないぐらいなので、まさに興味本位のミーハー根性でしかなかった。
しかし、見てみてびっくりしたのは、その当時の熱狂ぶりだ。アメリカ初来日公演ということもあったが、嘘じゃないかと思うほどのオーディエンスの発狂さだ。狂い死にそうな人がいる。

何が当時ここまで人を動かしたのだろう。

もちろんビートルズの音楽自身や彼らのスタイルの新しさがあったのは言うまでもない。
だが、一方でその登場のタイミングと時代を考えずには要られなかった。
ジャズのバップやプレスリーによるロックなど、先人たちが伏線となった音楽の文脈もあるが、何よりその当時人々がそれを求めたという時代性、社会の状況、国や政治の状況も大きく影響している。
当たり前のことだが、改めてそれを実感させられた。

ビートルズがそれをビジネス戦略的な感覚で情報として得て行動に移したなんてことあるはずはないが、何らか時代や社会の空気を感じとったところはあったと思う。それを音楽として表現したわけで、それはまさにアーティストと言える。むしろビジネス戦略では出来ない飛躍をその感性によってなし得たとも言える。

自分が日々無意識に感じていること当たり前だと思っていること。困難ではあるが、それを知ることが重要な何かを知ることになる。

Appleの40分にもなる映像を無料配信するというビッグサービスのおかげで、色々考えさせられた。
僕のような中途半端に興味がある人には効果的な宣伝だろう。僕でも少しは欲しくなったぐらいだから。









from I-phone

尖閣諸島の映像流出と世論の関係

尖閣諸島での漁船衝突事件の映像が流出した事件。
すっかりメディアの報道の中心は、その保安官をどうするか、といったところに移ってしまい、
もはやニュースにもならなくなってきた。
しかし、ここでこの件を止めてはならないと思う。

流出させた保安官も、映像を国民に公開せよと叫んでいた政治家も、
「世論が見たいと言っている」
を根拠にして、発言していた。

しかし、本当に果たして皆が見たいと思っていただろうか、と思うのだ。

もちろん「興味本位」で見たかった人はたくさんいるだろう。
それは、ニュースになっている有名な事件のその瞬間を見たい、という
「衝撃の瞬間!!」や「警察24時!!」的な番組を見たい気持ちと変わらないのではないか。

しかし、政治家や保安官が言っていた、「国民に見せるべき」という思いは、
「民主主義の国として国民に情報を公開し、国民が共有した上で、国全体で議論すべき」
というところにあるのではないかと思う。
政治家はどうか分からないが、保安官は少なくともそういう思いがあったのではないか。

しかし現実は、かなり無責任に街頭で応える「世論調査」というものがその根拠になっていて、
本当にその人が、国民としてそれを見た上で議論したいから見たい、と言っていたどうかは分からない。
いや、はっきり言って「国民として見ておかなければならない」「そしてそれを見たことに俺は責任をもって議論する」という気持ちで調査に応えた人はたぶんほぼ皆無で、
ただただ「見てみたい」でしか無かったのではないかと思う。

そんな、「いや、俺は別に見たいとは言っていないよ。でもみんなは見たいんじゃない?」
的な誰も責任をとらない状況で生まれた調査結果と空気が、保安官の気持ちを動かし、
映像流出へと働いたのであれば、これはかなりまずい状況だと思う。

何度も何度も繰り返し反省させられる戦争もたぶん、「いや、俺は責任をもって、戦争した方がいいとは思ってなかったんだけど、みんながさあ、」という人達がほとんどで、でもそんな人たちがつくった「世論」がなんとなく戦争賛成に動き、それをメディアが煽り、政治家と軍が勘違いして、と動いていったんじゃないかと思うことがある。

実際、煽ったメディアはもう取り上げてさえないし、ましてや映像を見た上で議論がさらに深まったとも思えない。国民も全然そんな議論していないし、むしろ、「へえ、こんな感じだったんだ」「映像見たし、気は済んだ」みたいなことになっていて、まったくもってどっかのテレビ番組の決定的瞬間を見たあとの家の中の空気と変わらない気がする。

このメディアと世論調査、なんとかならないものだろうか。

民主主義が浸透していて、個々が自分がその発言に責任をとる、という上での調査と、
なんとなく民主主義の国にいる人達がその時の気持ちで発言している調査。
これは雲泥の差であり、後者はまさに大衆調査だ。

そんな大衆による世論が、政治や外交、ましてや守秘義務にさえ影響を与えていることこそ、
大きな問題ではあり、ジャーナリズムが取り上げるべきことなのではないだろうか。
ここが変わらなければ、また戦争になったっておかしくないと思うのだ。