奇祭 火振り祭

松に向かって松明(たいまつ)を投げる祭。滋賀県日野町の豊作を占う伝統的な祭です。 今から投げ始めます


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海外美術館展で見つけた不思議

先日福岡市美術館で開催中のシアトル美術館展を見て来た。 シアトル美術館が所蔵している日本画や中国美術を公開している。それはつまり逆輸入的な展覧会で、普段見る日本の美術館による所蔵作品展とは一味違った。コレクションした人の意図や感性に応じた展示になっているので、見せる順番や配置などの表現方法が少し違うように感じたし、説明文章もやはり少し違い、面白かった。 ただ、そんな中、不思議というか、かなり可笑しな点に気がついた。それは、キャプションの英語表記。かなり日本語の作品名とギャップがあるのだ。というかもはや作品名から文化性が抜け落ちている。例えば「山水画」に至っては、「landscape」とあって、まったく山水という雰囲気が無くなっている。日本の美術館が所蔵しているならまだいいが、海外の美術館が所蔵しているということは、要するにこの作品名で日頃展示されているということ。これではせっかくの作品も魅了半減だ。なんとかならないものだろうか。 from I-phone

サラリーマンの歴史化=産業構造の形骸化

先日仕事で姫路に行く機会があり、かつての商家が立ち並ぶエリアを、そこで育った年配の方に案内してもらいながら歩いた。
かなり寂れてはいるものの、商家が立ち並ぶ通りには風情があり、そこでかつては活発な経済活動が行なわれていたことがうかがえた。
その方は、「かつては親がサラリーマンなんて家の方が珍しくて、皆家で親が商売している友達がほとんどだった」と言っておられた。

6月日経新聞の裏面「私の履歴書」ではオービックの社長の話が連載されていた。

オービックの社長に限らず、この欄で連載される方々は皆70〜80歳代の方ばかり。
皆さんの連載初回のころの話には、どうやって生きていくかを考える少年、の描写が必ずと言って良いほど出てくる。
「私は次男だったので、家業は継ぐことができない。なんとか自分で食べる方法を考えないと行けなかった」や「他の家の子供たちと同様、丁稚奉公(でっちぼうこう)に出た」と言ったたぐいの話だ。

そこには、「大企業へ就職するために就職活動に励んだ」とか「面接の際に少しでも好印象を持ってもらえるよう、リクルートの手引きを読み込んだ」、と言った描写は無い。

僕は別にここでサラリーマンを否定しようとしているわけではない。

言いたいことは、サラリーマンの歴史は浅い、ということだ。

こんなこと、年配の人にとっては当たり前の話かもしれない。
しかし、僕らの若い世代にとっては、そんなことはない。
むしろ「サラリーマン」は当たり前の様に目の前にあった、たいへん丈夫そうな既成概念だった。

そういう意味では逆に、サラリーマンに歴史が生まれ始めた、と言えるかもしれない。

皆周囲の友達のお父さんはサラリーマンだったし、
ドラマの設定もサラリーマン一家ばっかりだったし。
つまり、周囲の大人のほとんどはサラリーマンだったわけだ。
そしたら皆がサラリーマンになるという将来を考えるのは当たり前だ。
人は目の前で見たことのある道を進みたいと願うものだ。
(この点においては、家業があったから家業を継ぐ、というのも変わらない。)
だからそういう意味では、「ケーキ屋さん」とか「花屋さん」とか「スポーツ選手」とかっていうのは、まさに作文だから書く「夢」であり、鼻っから「現実にはならないもの」と思っていたのではないかと思う。
現実的には、見たことのある「サラリーマン」だったはずだ。
そしてこの「サラリーマン」という言葉には、年功序列と終身雇用、という意味も含まれ、「安定した人生」に直結する言葉だった。

しかし、今よく見てみると、そんな安定したサラリーマン生活を送れたのは、第一世代だけだったということに気づかないだろうか。
その世代はつまり今の60〜70歳代。
そして実はその初代サラリーマン組を雇い始めたのは、「家に家業があった時代に生まれ育った」世代ということにも気づく。
要するに70〜80歳代の「私の履歴書」世代なのだ。

つまり何が言いたいかというと、
この当たり前の様に言われる「サラリーマン人生」はたかだか今の60〜80歳代の人達の時代のごく短い年齢層の人限定の話、ということではないかと。

なのに今でも「サラリーマン」になるしかないと考える人達がいて、それに漏れた人達が「失業者」と呼ばれ、本人さえそれを「負け」と認識して自覚してしまっている。

サラリーマンになれるかなれないか、なんて、たいした話ではないないはずなのに。
しかもその全盛期はとうの昔に終っているのに。

かつてサラリーマンが少なかった頃に、「毎月定額の収入があるなんて、信じられない」と商家の人たちは言っていたそうだ。

よくよく考えればそりゃそうだ。
会社の収入は毎月一定ではないのに、本来なら社員に一定の給与を与えることはできないはず。
しかも丁稚奉公なんてもんではなくて、中産階級の生活が営めるぐらい出すなんて。
そういう意味でサラリーマンという立場は、もの凄くまれで、もの凄く恵まれた、立場であったはずなのだ。
まさに産業革命の功績そのものだった。

それをもう一度よく理解するべきだと僕は思う。

そして、そんなラッキーな立場に立てなかったからと言って人生が終ったわけではないし、むしろ人を雇って「サラリーマン」を増やす側に立てる可能性があるわけだし、サラリーマンでも雇い主でもない「ケーキ屋さん」や「お花屋さん」といった作文の「夢」にだってなれる可能性があるのだ。

逆に、「サラリーマン」という概念が当たり前であることがおかしな話で、
それこそが産業構造の形骸化を生んでいるのではないかと思う。

ある人が会社を立ち上げようと立ち上がる。
そこに、「では私もついていきます」、とついてくる人たちがいる。
かつての「サラリーマン」はそんな起業者と同じぐらいの勇気が必要だったのだ。
でも今そんな勇気はいらず、それどころか勇気なき人たちが大半になってしまった。
俺は安定したいから大企業に雇われたい、と。
そんな意識の低い人を欲しい企業なんで無いのに、応募してくる来る人はそんな人ばかり。
まさに商家が当たり前になって二代目がうまくいかなくなったように、二代目以降のサラリーマンもやはりうまくいかないようになるということだろう。

つまりは、歴史の形成は様式化の形成。
サラリーマンの歴史が形成されることは、その産業構造が形骸化されることと同義ということだ。

そんなことを、日経新聞の記事に「先進国の中で起業家精神を持つ人の割合が最低レベル」という記事を見て思った。


いずれにしろ。
今大勢の人が当たり前だと思っている社会。
それをちゃんともう一度理解し直すことが重要なのではないかと思う。

その時、「私の履歴書」のような記事が多いに役立ち、そこにメディアの役割の一旦があるのではないだろうか。

ちなみに僕を案内して下さったその人は
「だからみんな家に帰ると親がいて、家の家業を手伝わされたものです」
とも言っておられた。
つまり鍵っ子なんてなかったし、両親が働いていはいても、いつもすぐそばにいたのだ。

僕も商家ではないが、家業のようなものがある家だった。

だからいつでもそばに母と父がいた。

そのありがたさは何にも変えがたい。

そして僕は今サラリーマンにはなっていないのだ。
これも所詮は「負け」おしみだろうけど。


W杯 サポーターの文化成熟度

「日本サポーター交流は続く 南アの子へ支援のパス ボール贈る いつか代表に」(日経新聞7/3夕刊) ある日本人サポーターに関する記事。 なんと、開催前に国内でチャリティー目的でTシャツを販売し、その後出場全32カ国を巡りながら、各国の子どもたちにチャリティーの売上からサッカーボールを贈っているのだという。 そんな素晴らしいサポーターが日本からも出てきたのだと思うとちょっと感動した。 審判が重要な一戦を任されたり、サポーターが現地の子どもを支援したり。 16強に進んだ代表をはじめとする選手の向上はさることながら、そうした周辺も成熟してきた。しかも文化が成熟し始めている。 やはり物事は積み重ねが大事だ。 from I-phone

感性から感、そして勘へ / no.d+a

マラドーナ監督擁するアルゼンチンの快進撃は残念ながら終わってしまった。
はっきり言ってそこには戦略も戦術も無かった。
あるのは彼が持っている「勘」のみ。
このままアルゼンチンが優勝したら、名だたる各国の代表監督の知略を「勘」が打ち破ったということになり、一大ニュースとなっただろう。

しかし、この「勘」
どちらかというと馬鹿にした様なニュアンスがある言葉だが、実はこれがかなり重要だと僕はつねづね思っている。

勘とはいったい何なのか
ぱっと思い当たるのは、限りなく動物の本能に近い能力なのでは、ということ。 毎日原始的で同じ行動をとり、そこから得れる経験値によって、動物的「勘」は養われているという。 
その判断力と迅速さたるや、人間はとうていかなわない。 地震予報装置が作動する前に、動物は避難している。 

 では、この「勘」の領域に人が行き着くためにはどうすれば良いか。
それは、天性であるところが大きい気がするが、それに加えて尋常ではない量の反復行動も重要ではないか、ということが考えられる。

ここで一度「勘」を体得してそうな「勘保持者」を想像してみる。
先にあげたマラドーナのほか、日本で言えば野球界の長嶋茂雄、あとは自分に近い建築業界でいけば安藤忠雄、その辺りがイメージされる。
すると、この「勘保持者」たちに共通していることに、失礼な言い方だが、「子どもっぽい」ということがあることが思い浮かぶ。
みな、まるで子どもがそのまま大人になったような人たちだ。
これはつまり動物性を残していると言えるのではないだろうか。

そして、もう一つこの「勘保持者」たちにに共通していることは、反復学習や反復練習などの、同じ行動を何度も繰り返して自らを鍛える能力に富んでいるということだ。
マラドーナは、夜ボールが見えなくなってもとことん練習をしていたという。しかもそれは、気がついたら夜だった、というから、凄まじい集中力だ。

ここで、「勘」を「感」として考えてみる。
そして「感」の対極を考えてみる。 
先天的な「感」の対極にあると思われるのが後天的な「理」 
「理」は「理性」と対応し、「感」は「感性」と対応する。 
人間は成長するに従って「理」が芽生え、「感」が後退していく。 
「理性」によって物事を考えようとするようになり、「感性」によって認識することを止めていってしまう。
ということは、「理性」がどうやら「感」の邪魔をしていそうだ。
先述の動物のことなど考えると、おそらく「勘」は「感」に「経験」が加わって生成されると思われる。
だとすると、なんとかその「感」が失われずに少しでも維持されていれば、そこに様々な経験が加わり、「勘」をすることができるのではないだろうか。

つまり考えるよりも行動することが先に立つことが重要ということだ。
それは思えばまさに子どもの行動原理そのものだ。
そしてその時、だから「勘保持者」たちは子どもっぽいのだ、ということに気がつく。
しかもその行動力と行動量は尋常ではないのだから、養われて行く「勘」は人知を超えている。 
言葉悪く聞こえるかもしれないが、彼ら「勘保持者」からからは、「理論」の「理」の字も見えて来ない。 
しかし、その凡人から見たら突拍子も無い判断が的中することはままあり、しかもそれは大きな衝撃を与えるような影響力を持つ。 
 それはまさに「勘」の成せる技なのである。 その膨大な量の練習によって積み重ねられた「経験」ともともと持っている「感性」によって生まれた、ハイブリッドで質の高い「勘」によるものなのだ。 

 数年前にスピルバークの映画に『マイノリティリポート』というのがあった
これは僕にとっては、大雑把に言えば、理VS勘(感)、の映画である。
「理」が生んだ高性能な技術を操る人間がひとたびそこから狙われる立場に立つと、頼りにするのは占い師やテレパシーなどの「勘(感)」。そして最後に主人公は見事切り抜ける。
つまり、常に示唆的なスピルバークを深読みすれば、所詮最後は「勘」には勝てないよ、ということなのではないかと考えてしまう。

そして今、あと少しでサッカー界において「勘」が「理」を打ち破ろうとした
そういう視点からもアルゼンチンの動向には注目していただけに残念だ

ちなみに「勘」の重要性を「感じ」ながら、こうやって「理」屈っぽく「考えて」いる段階で、僕には「勘保持者」になる可能性は限りなく薄いこと痛感させられる。