W杯 日本の大衆性 / no.d+a



終ってしまった日本のワールドカップ。
もちろんこれからまだまだサッカーファンにとっては見逃せない試合が続くし、
日本代表も早速新たな体制づくりが始まり、来年からブラジル大会アジア予選が始まる。

しかし、明らかに世間はワールドカップ終了モードに入っていて、メディアも明らかに取り上げる量が減った様に思う。新聞もさく紙面が減った。もちろん今日まで2日間の休養期間だったこともあるが、日本が勝ち残っている時は、日本以外の記事もそれなりに多かったように思う。

僕は先日の日本対パラグアイ戦はこれまで通り近くのアイリッシュパプで観戦した。
しかし、「これまで通り」とは、店が同じ、ということだけで、まったく店内の雰囲気は違うものだった。
23時キックオフという時間にも関わらず凄い数のお客さん。
みな、勝ちTなどを着たり、顔にペイントしていたり。
小さな店に2局も中継クルーが入っている。
店内の冷房がまったく効かない状況で、もはや山手線のラッシュ時かという状況。
キックオフの時間が近づくと、既にわーわーとかなり騒がしくなってきた。
パラグアイの国歌斉唱など誰も聞いておらず、あやうく君が代もスルーしそうになったので、思わず、「はい、君が代!!」と叫んでしまった。そしたら急にみんな大声で合唱。
いよいよキックオフ。
すると、ちょっとでも代表選手がミスしたりすと、「なんしよとや!あいつ!」とか、「ファウルやんけ!」とかいうヤジが飛ぶ。
しかしそれもしばらくすると、試合が硬直したものであったこともあって、思い思いに各グループで騒ぎ始め、いやコールし始めた。「にっぽん!にっぽん!」とか、ちょっとキーパーが触ると、「川島!川島!」とか。
前半が終ると一気に暑い店内を出て外でみんな休憩。
店内に残っていた人が後半開始とともに拍手すると、それで後半開始に気づいた人が店内に戻って来る。
しかし後半、そして延長戦、とますます日本の見せ場は少なくなるばかり。
そしてちょっとでも相手選手がペンルティーエリア内に近づくと、「キャー!」とか「おい!おい!」とかいうヤジがとび、ピンチが増えるもんだから、最後はそんなヤジばかりになった。
もう延長後半になると、試合そっちのけで円陣くみ始めたり、PK前には日本の国旗を掲げて歓声を上げたり。

ここまで描写してくれば分かってもらえると思うが、
要するに「サッカーを見ている人」が全然いなかった、ということが言いたい訳だ。

これは自分がまだ学生だった2002年日韓大会の時にも感じたこと。

それまでほとんど関心の無かった人が、日本代表の活躍をワイドショーなどで知り始め、いきなりサポーターが2倍にも3倍にもなる。
でもその大半の人は、日本代表のサッカーを応援したい、ワールドカップを見たい、のではなく、ゴールの瞬間や勝利の瞬間に立ち会って騒ぎたいだけ、であることが多い様に思う。
同じ23時キックオフだった初戦カメルーン戦の時の店内はいつもよりちょっと多いぐらいだったし、周囲の関心もほとんど無かった。むしろ「W杯だ!日本応援するぞ!」なんて言っていると、何言ってんだか、といった反応でさえあった。ましてやイングランド戦やコートジボアール戦などの親善試合になったら、それを見る為にいつもより早く家に帰るなんてことが「??」のまなざしだったし、その前のアジアカップ予選や他のキリンカップ戦などにいたっては、見ている人を捜すことの方が難しかった。
それがとたんに国民そうででの応援状態。

これにはいつも複雑な気持ちになる。
(ちなみにドイツ大会は代表が活躍しなかったので、こういう気持ちにはならなかった)

サポーターが増えること、応援する人が増えること、サッカーに関心を持つ人が増えること、は間違いなくいいことだ。

でもそれはいつも毎回一過性でしかない。
サッカー協会もなんとかこの熱気をJリーグに繋げようと毎回頑張るが、やはり最後にはもともとのファンの人が残る。それはメキシコオリンピックでの銅メダル獲得の頃から変わらないと思う。
これはサッカー協会の責任というよりは、そういった急増のサポーターはあくまで、「飲んで踊って騒ぎたい」だけなのだから、定着ファンにするのはかなり困難であることの方が大きな要因だ。
これが先日の北京オリンピックでのソフトボールなどであれば話は別。それまで目に触れ得る機会が無かった訳だから、それをきかっけにファンになる可能性も高かったのではないかと思う。
でもサッカーは違う。もうJリーグが出来てしばらくたつし、何より一度日韓大会で充分盛り上がっている。にも関わらずこの状況なのはもう変わり様がないと思う。

こんな風に偉そうに言う僕だって、せいぜい日韓大会で韓国を二往復したり、チャンピオンズリーグやセリアA、クラブW杯を見に行ったことがあるぐらいで、日本代表戦やJリーグ(発足前のG大阪釜元監督時代の試合を1度だけ見たが)は見たことが無いので、生粋のサポーターとは言わせてもらえないだろう。勝ちTはじめブルー系の応援グッズも一つも持っていない(代わりに毎大会オリジナルでTシャツを作っているが)。ただのサッカー好き程度だ。

だから僕がここで言いたいのはそういう人への批判ではない。
ただただ毎回そういう光景から日本の大衆性を感じてしまうということとそれへの不安感だけだ。

こうした状況に大きく加担しているのはマスメディアだ。
出国前と比べて手のひらを返した様な賞賛ぶりと取り上げぶり。
あれだけ批判しまくり、否定しまくっていたことはどこへいったのだ。
まったく無関心だったことはどこへいったのだ。
責任感のかけらも無い

岡田監督が仏頂面になってしまうのはフランス大会の時のことがかなりトラウマになっていると言う。一躍予選初突破の立役者として祭り上げたと思ったら、カズ外し、練習非公開、3戦全敗、などをへて「お前」扱いになった。
あんな受け答えになるのも無理は無い。

これは何もサッカーに限ったことではない。

一斉にメディアが「金で汚れてる」様な取り上げ方をすると、世論がそれに反応し、幹事長辞任に追い込まれる党がある。検察が二度も「白」と判定したのだから普通ならば真っ白だ。

ある番組で納豆が取り上げられると、スーパーの棚から納豆が無くなる。
そして次の日別の食物が取り上げられると今度はそれが無くなり、納豆があまる。

こうした大衆性は、実は最近むしろ「大衆性という概念さえメディアや広告が生み出した架空のもので、実際にそんな人はいないのではないか」と考えていた。
つまり、みんなが「大衆は怖いねえ」と言いながら、みんなが「俺は大衆じゃないけどな」と思っているという状況ではないかということ。存在してそうな「大衆」という蜃気楼を遠くからみんなで眺めているという構図。

でも今回のことで、「やっぱり大衆性はある」と再確認した。
いや別の言い方をすると、「やはり大衆はいなかった」けど「みんな大衆性を持っている」ということが新たに分かった、とも言える。

要するに誰も自分が大衆であるという自覚が無いことが大衆性を生んでいるのではないか、ということ。
それは煽るメディアの自覚とも共通する。
業界の人は誰も「私は大衆性を煽る報道をして加担しています」とは自覚していない。
むしろみんな「いやあ本当に最近のメディアは駄目なのが多いですよね〜」とさえ言う。

大衆性が強くなることは民主国家としては良く無いことだと思う。
政治や社会を動かしている民衆が大衆であったら、それはとてもとても恐ろしい、責任をとる人がいない社会となる。
日本はまさに今そこにいるかもしれない。

そんな時、一人でも「自分は大衆の一人だ」「自分はメディアに煽られている人の一人だ」と自覚することが重要なのではないか。
それを強く思った。
もちろん僕もその「大衆の一人」として。




W杯 メディア報道の恐ろしさ / no.d+a

昨日の残念な試合による喪失感を癒そうと、新聞のスポーツ欄を読んでいたら、韓国の記事があった。
それはどういう記事かというと、韓国では日本戦の視聴率が21%とかなり良かった、というもの。
ここまでなら、へえ韓国の人達も応援してくれていたのだなあ、と思う。

が、しかし、良く読むと、パラグアイの勝利に歓声があがった、とある。
そして、韓国が負けたので日本を応援する理由はない、といったコメントも掲載されていた。
要するに韓国の人は日本が負けることを願っていた、というニュアンスの記事だ。

これは、さすがにコメント自体は事実ではあるだろうが、しかし皆がそうだとは思えない。
日本にも韓国を応援する人とそうでない人がいるのだから、同じ様な状況であるはずだ。
しかしこの記事を額面通り受け取ってしまうと、すごく危険だ。
そして額面通り受け取ってしまう人ほど、韓国の人と交流したことがない人であることが多い気がするのだ。
イメージすれば分かり易いが、例えば中学生という色々なことに敏感な頃を思い出してみる。もし隣の中学校に一人も知り合いがいなければ、誰かに「あの中学は嫌な奴が多い、感じの悪い学校らしいで」と言われたら、そうなのか、と思ってしまう。しかし、一人でも仲の良い友達がいれば、まあでも少なくともあいつはいい奴だしなあ、とけして振り回されることが無いと思う。
要するにコミュニケーションの頻度と量の問題だ。

日韓の交流をしている人は間違いなく日頃から感じている自分の印象を信じるはず。
そういう人が増えれば、この記事に振り回される人も少なくなだろう。
(ただここで、簡単に噂を信じて、日頃接していてそんなこと思っても無かったのに、そういう気分になる人も多い、という別の問題もあるのだが)

とにかくますます都市間交流の重要性を感じた記事だった。

W杯 理論と勘 / no.d+a

昨日またもアルゼンチンが快勝した。凄い。もはや神懸かっている雰囲気だ。堅守速攻のメキシコに3-1とは。 理論も戦術も無いと言われるマラドーナ監督だか、たぶんはそれは間違いない。はっきり言って勘だ。しかしその勘が的中している。そしてあのカリスマとチームのまとまり。長嶋茂雄を思い出さない方がおかしい。優勝したらまさにメイクミラクルだ。そして同時に、世界の智将たちとその戦略論を打ち壊す。 やはり最後は理論より勘が上か。 from I-phone

栽培日誌100628 スイートバジル

バルコニーで初期育成していたバジルもいよいよトマトや枝豆とともに廊下に


あまりの良い香りに、先日早速サラダにして食べたら、ヤバイぐらい美味しかった!


が、しかし!今日来たら早くも虫が! 早速お酢スプレー噴霧。 これは、虫が食べるかこっちが食べるかの競争だ。


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栽培日誌100622 トマトに実がなりました

ついにトマトにも小さな実がなりました。


枝豆も新たに植えた種がグングン育ちつつあります。


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