勝手に八幡アートトリエンナーレ

八幡駅からQMACまでの道のりを、勝手にアート的なものを探して歩いてみた

1.大規模壁画作品







2.大規模インスタレーション








3.郵便局付き住居







終着点のQMACで正統な現代アートを見て完了
*QMAC(operation gallery)については九州アートBBSの記事を参照下さい

ふざけた記事で失礼しました。
でも40分の道のりはなかなか楽しかったです。

from I-phone

日本人は本当に偉い? / no.d+a

今回の震災で、暴動も大きな混乱もなく、秩序を維持したということが、海外メディアから取り上げられ、日本と日本人が再評価された。
これ自体は確かに素晴らしいことだし、正確には東北の方々が素晴らしかったわけで、それにはこちらも頭が下がる思いだ。
ただし、日本人は素晴らしい、には若干の懐疑心を感じるのも正直なところ。
少なくとも自分はそんなに素晴らしいものではない自信?がある。
むしろ、大災害とはいえ、他国の災害に対して、あれほど追悼の姿勢と支援の行動をとれる他国の方が凄いと思う。最貧国と言われ、たいした国交もないアフガニスタンからでさえ、支援表明があった。
しかし、果たして、例えばアフガニスタンで同じ災害が起こっていたら、日本人は、自分は、同じような追悼の意と支援ができていたか。福岡から見れば距離的には東北より近い釜山で同じ災害があったら、東北に対するのと同じような気持ちを抱き、行動をとっていたか。
はっきり言って残念ながらその自信はない。
日本が秩序を守れたのは、誤解を恐れずに言えば、しがらみが抑制したのだけではないのか。個々の道徳心や教養、責任からだけと言えるのか、わからないのではないか、と思ってしまう。なぜなら自分の実感がそうだから。
実感昨日起こったアメリカでの竜巻に対しては、東北ほどの思いが持てなかった。
それが、いわゆる日本人であるがゆえの、「世間」という感覚によるものなのか。
とにかく、ほとほと自分の小ささには情けなくなる。

from I-phone

八日目の蝉の帯の話 / no.d+a

八日目の蝉という小説が、映画化された後、その映画の世界観を表現した帯を付けると、売上が2倍になったという話。
その帯というのは一見するとカバーと思うほど、本を覆っている。逆に言えば2mmだけ本体より小さくすれば帯であることを逆手にとった広告戦略の勝利の事例だ。
でも、正直、そういう広告代理店的臭いがプンプンするものが文学にまで侵食していることに、ガッカリしてしまう。そんなに読者の見る目は無くなってしまったのか。
ACのCMが、生命保険会社や証券会社のCMとまったく変わらないことも含め、今回の震災を機にそうした広告業界の病んだ体質が変わらなければ、正直何も変わらない気がする。
自分に置き換えて言えば、広告代理店的仕事が来たりそういう立場になった時に、勇気を持って否定したり是正したりできるかどうかが問題だ。

from I-phone

阿倍野パウダールーム完成しました / no.d+a

阿倍野Q's mallという再開発系商業施設内にあるパウダールームのアートワークがこの度完成しました。
(Q's mallのオープンは4月26日です http://qs-mall.jp/

この物件は、2009年から動き出していたプロジェクトで、
絵描き淺井裕介を中心に、no.d+a、アラタニウラノ、の3者チームで取り組み、
実に1年半かかりました。
(淺井裕介は、紺屋2023の通路床の作品の作家です)

淺井くんの植物のドローイングに囲まれた「マンゲキョウ」というコンセプトの部屋です。

今回のアートワークは、淺井裕介としても様々な初の試みとなりました。
これまでは、既にある建物や部屋、場所、壁、にドローイングすることが多かったのですが、
今回は内装計画の段階からの参加でした。
インテリアデザインとして、パウダールームという機能を満たしつつ、部屋全体が淺井裕介のアートワークで満たされることを意識し、お互い色々検討・試行錯誤を重ねながら進めました。
全体としては、床に淺井裕介のドローイングが焼かれたタイルが並べられ、壁と天井にはアクリル絵具(淺井くんがアクリル絵具を使うとは!)によるドローイング、鏡にはカッティングシートによるドローイングが描かれています。
それらが映り込み合って増殖するような仕掛けとして鏡が部屋の中央に並んでいます。

ただ、このアートワーク。
部屋の機能がパウダールームということで、4/26のオープン後は男子禁制になってしまい、
男性は見ることが出来ない部屋です。淺井ファンの男性の方は写真にて我慢下さい。

女性の方でご興味のある方はぜひお近くにお立ち寄りの際にご覧下さい。
ポイントカード会員になると入る事ができます

mangekyo01.jpg


義援金と復興財源、個人と法人、の話 / no.d+a

東日本大震災から早くも1ヶ月
余震や原発、停電などの問題が続き、復興への推進力をそいでいる

それでも、日本全国、そして世界から、励ましのエールと支援が届き、
多少なりとも被災した人たちの助けになっていればと切に願う

義援金に関しても、著名人や企業からあいついで寄付の表明があがり、
いつどのように届くのは詳しく分からないが、被災した人々の生活復興の助けになるのではないかと思う。
政府も、原発の対処に追われながらも、徐々に復興への政策をまとめはじめた

とにかく一日でも早い震災の復興と原発の収束を願うばかりだ

さて、政府が補正予算を組み、その財源をどこからまかなうかという議論が各紙でも取り上げられている

そんな記事を読み、色々な人と話をする中で、最近知ったことがある

それは義援金と税金控除の話

通常でも寄付は一部税金が控除されることになっているが、今回のようなケースでは特別にその控除の上限を高く設定されている
法人からの寄付に関しては全額必要経費として認められるそうだ

ということは、だ

要するに法人からの寄付は、ざっくり言えば本来国に納められる予定だった税金が義援金にまわされる、ということになる
それはつまり、税収がその分減るということだ

さてしかし、国は国で、復興の財源をどうしようかと苦悩している
あの補正予算は、それら企業からの義援金は含めないで、算出されたものだ
国債の発行や、日銀の特別措置など、案は様々だが、とにかく苦しいことに違いはない

そうでなくてもそもそも減っていた税収だったわけだが、
皮肉な事に企業が義援金に回せば回すほど、ますます減って行く

そうなると自然と、復興特別税、という話だって浮上する
広く国民からいつもより多く税金を集めよう、ということだ

この話はなかなか複雑でナイーブだ

義援金は被災者の生活復興のための資金となる
復興財源はまちの機能復興のための資金となる

どちらも被災地復興のためにはかかせない

税金控除やそういった特別措置を低く設定すると、税収は増えるが、義援金が減る

でもそもそも控除があるかないかで寄付を決めるべきではないのではないか
は理想論で、やはり実際は減るだろう
それでは被災者にとって苦しい 
それに企業としても国に税金納めるよりも義援金の方が積極的に出すだろう

ここで、
ん??
待てよ
と思った点がある

それは、企業は、例年払っている税金を義援金に回すだけだから、別に例年と出すお金は変わらない、ということだ。

それは本当に支援と言えるのか、とも思うが、やはり寄付は強制できるものではないし、控除上限を低くしてもその分だけさらに義援金を寄付するかは、正直怪しいところかもしれない

それにここで他にもう一つポイントなのは、個人での寄付の場合、全額控除にはならないということだ
通常の寄付よりは高い割合が認められるそうだが、とにかく全額ではないらしい

つまり、例えば企業はその年に払いそうな税金に近い額を義援金にまわせば、かなりの税金を払わなくて済むようになるが、個人は義援金を払いつつ、かつ税金も払うことになる

う〜ん、なんだか釈然としない

法人が税金の予定だったものを義援金としてまわす

税収が減る

税金が高くなる

個人が税金を払ってまかなう

法人を「人」として扱うなら、なんだか変な感じだ

被災地を復興するためには財源が要る
国をあげて復旧しなければならない
その時頼りになるのは「大きな人」としての「法人」ではないのか

しかし、「法人」という人は「個人」が構成している、と考えればまた違うのか
法人は経済活動における架空の「人」
こういう復興はやはりリアルな「個人」みんなでやるべきだ
という風にも考えられる

法人っていったい何なのだろう

なんだかよく分からなくなってきた

理想は、義援金も多くなり、復興財源のための税収も減らない、というしくみだが
これは難しいのだろうか
個人が個人を助け、法人が(政府を通して)まちを助ける、では駄目なのだろうか

いずれにしても、個人での寄付、と、法人での寄付、は違うということ
ソフトバンクで寄付するのと孫正義で寄付するのとは意味が全然違うということだ
石川遼の1億と企業の1億は全然意味が違うということだ
そこをしっかりふまえて、今行なわれている支援活動を見、考えたいと思う