イヴ・サンローランの美

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フランスを代表するファッションデザイナー。
彼のドキュメンタリー「イヴ・サンローラン」が、今年いっぱいで閉館することが決まったソラリアシネマで上映されています。

2008年に71歳で亡くなりましたが、その人生はまさにレジェンド!伝説です。

17歳の時にパリのファッションデザイン学校に入学し、その年にデザインコンクールのドレス部門においてカクテルドレスを発表し最優秀賞を受賞。
この時の審査員であったVOGUEのディレクターは、無名の若い少年のポートフォリオを初めて見た時、新作として発表している友人のクリスチャン・ディオールと同じA-ラインの線を描くイヴに驚き、すぐディオールに紹介したとか。
いちはやく、イヴの才能を見抜いたディオールは、18歳で彼をアトリエに入れ、自分の後継者にしようと思ったようです。

実際、ディオールの死によって現実のものとなります。

イヴは21歳でディオールブランドを財政的な破滅から救うために主任デザイナーとなり、オートクチュールのショーを開催。
翌日の新聞はその日一番大きな見出しに「イヴ・サンローランはフランスを救った。偉大なるディオールの伝統は続きます」と書きました。
若きイヴがショーの最後にバルコニーに現れた時、下に居る群集から大きな歓声が上がった模様はこのドキュメンタリーに納められています。

ある意味驚くのは、18歳という青年が持つ才能を見出すフランスの大人たちの力です。

そして、イヴの生涯のパートナーとなるピエール・ベルジェ
彼との出会いは1958年、イヴ22歳のとき。

「尊敬していた大デザイナー(ディオール)」が私たちを出会わせてくれた」とピエール・ベルジェ。
実業家のピエールはイヴのショーを仕切り、ディオールから独立後、イヴ・サンローランを大きなブランドへと成長させていったのです。

映画は、ピエール・ベルジェの回想と写真で語られていきますが、目を見張るのは、彼らの住む世界(パリ、バビロン通りのアパルトマン、ノルマンディのシャトー・ガブリエル、マラケシュの邸宅)の豪華さと美しさ。

二人の卓越した美の追求者が、長い年月をかけて集めた美のコレクション。
大きな絵やオブジェから、本棚に飾っている写真立てや花瓶まで、二人が選びに選んだ美のコレクションです。
ため息が出るほど美しく、そして、それがフランスという国の底力を感じさせます。

映画はこのコレクションがオークションにかけられていく様子で幕を閉じるのですが、ピエール・ベルジェが愛する人を亡くした悲しみが伝わってきました。

ショーのプレッシャーから酒やドラッグにおぼれ、家に帰らないイヴを見守ってきたピエールの愛情が全編にあふれているドキュメンタリーです。

堀尾幸男さんと原田保さん

さてこの人たちは誰でしょう?

この二人を知っている人は舞台の通(ツウ)ですね。

そう、行ってきました!劇団新感線「髑髏城の七人」大阪公演です。
役者・小栗旬くん、森山未来くん、早乙女太一くんのことには、今回は触れません。
もう一度、東京で見てから感想書きます。

で、今回はタイトルで紹介している堀尾さんと原田さんについて。

大阪公演で、一緒に見た劇場のプロデューサーが「照明が完璧!」と感心しきり。
完璧な照明家が、この原田保さんです。

演劇だけではなく、オペラ、ミュージカル、コンサートなど様々な舞台に携わられています。
『NINAGAWA十二夜』『天保十二年のシェイクスピア』タイタス・アンドロニカス』『あわれ彼女は娼婦』『オレステス』『タンゴ・冬の終わりに』など多くの蜷川演出作品の他、宮本亜門の『キャンディード』、そして新感線の『SHIROH』『吉原御免状』『メタル・マクベス』『蛮幽鬼』『五右衛門ロック』『薔薇とサムライ』。

そして堀尾さん。この方は舞台美術家です。
舞台美術家としてはじめて取り組んだ舞台美術は、オペラ作品。
ドイツ・ベルリンで美術を学ばれたそうなので、オペラの舞台が原点のようです。
その後、ミュージカル、演劇へと仕事が広がったとか。

堀尾さんも『蜷川作品をはじめ、野田秀樹も、三谷幸喜も、あの中島みゆきの『夜会』も、立川志の輔の『志の輔らくご』も、そして新感線の「いのうえ歌舞伎」と呼ばれるものはほとんど堀尾さんの手にまかされています。
そう、どれも、オペラのような奥行きのある舞台美術だし、ドラマチックな仕掛けがたくさんありますね。

「ほぼ日刊イトイ新聞」で堀尾さんのインタビューがあるので読んでください。
http://www.1101.com/horio/

芝居を見るときに、演出、役者で選ぶのはもちろんですが、これからは、この二人が名を連ねている芝居を見れば、ハズレはないかもしれません。

天神地下街で、すごい宣伝に遭遇です!font>

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docomo スマートフォンラウンジか福岡市中央区大名の西鉄グランドホテル1階にできるそうで、そのコマーシャルポスター。

目立ちます!

それに、大名町は確かに大名が住んでいたから、この町名。
それを単刀直入にぶつけてきたコマーシャルポスターです。

ありそうで、なかった!いや、面白いです!
キャンペーン詳細はこちら→http://daimyogyoretsu.com/

筒美京平が作ってきたと言えるかもです、日本音楽業界!

名前は知っていても、どんな人か知りもしなかった筒美京平という人物。
その人が、2005年、BSフジの音楽ドキュメンタリー番組 「HIT SONG MAKERS 〜栄光のJ-POP伝説〜」で数十年ぶりのテレビ出演を果たしました。
番組は日本の大衆音楽史に大きく貢献した筒美の歩みの全体像が理解できる、優れたエンターテインメント作品であると評価され、その年の日本民間放送連盟賞・テレビエンターテインメント番組部門の最優秀賞を受賞しました。

私はそのシリーズがDVDになったので購入。
改めて筒美京平という人のすごさとかっこよさにしびれました!
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そして今年の5月にはNHK BSプレミアムの「希代のヒットメーカー 作曲家 筒美京平」に出演。
NHKのテレビ番組に出演するのは今回が初めてとか。
昨日、録画していたのを見て、ここに書いています。

とにかく、1970年代からほとんどの曲を知っているし、覚えています。
あのサザエさんのテーマソングも筒美さんです。
番組を見ていると1ヵ月に45曲も書きあげた時期があるとか
筒美さんのすごさを列挙すると、日本の作曲家別シングル総売上枚数は1位(2位・小室哲哉、3位・織田哲郎)。また、1960年代・70年代・80年代・90年代・2000年代にわたりオリコンチャート1位を獲得しています
最も作品が多かった年は1972年(第23回NHK紅白歌合戦)で、紅白合わせて7曲が歌われたそうです。何か知りたいひとは調べてください。

最も多くコンビを組んだ作詞家は、学生時代の先輩、初期のゴールデンコンビの相手である橋本淳
橋本さんに頼まれてこの世界に入ったと言ってました。
コンビでの作品数はシングルやアルバム曲などトータルで550曲を超えるらしい。

第2位は1980年代以降のゴールデンコンビの相手、松本隆で作品数は約380曲。
第3位が阿久悠で約120曲となっています。松本隆との対談もありました。

1967年に作曲家としてデビューした筒美京平の30周年記念アルバム。
1967年から1997年までに彼が作曲した代表曲をCD8枚に渡って収録したのが 「ヒットストーリー」。
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レコードメーカー18社の協賛の下、162曲を4枚組2セットにまとめたものです
2600曲とも言われる彼の作曲群の中から、たったの162曲を収録しただけですから、少ないと言えば少ないのだけれど、レコード会社の枠を越えて素晴らしいヒット曲達が集まっています。

そのブックレットに吉田拓郎が書いていました。

「すごくいいナー」と思うと
必ず筒美京平の曲である
「やったナー」と思うと
やっぱり筒美京平の曲である
「whmm」と口ずさんでいるのは
いつも筒美京平の曲である
それに何と言ったって
「筒美京平」と言う名前がカッコいい

1940年生まれというから、もう70歳代の筒美さんですが、今でも月に一度、大学時代のジャズメンバーが集まって演奏しているそうです。
どこからどこまでカッコよくて、才能あふれる人。
この人がいてくれたからこそ、日本の音楽業界は色あせてないのだと確信しました!

「帝国劇場100年」の特別番組と、注目のミュージカルスター

帝国劇場は、東京都千代田区丸の内三丁目にある東宝の直営劇場です。
通称、帝劇と呼ばれています。

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この劇場のオープンは1911年、今年で100年目を迎えた帝国劇場のドキュメンタリーや関連番組がいくつかオンエアされる模様。
まずは21日(日)のNHKプレミアムで放送される、「帝国劇場100年〜夢と希望と感動の大舞台〜」。

伊藤博文、渋沢栄一、西園寺公望、坪内逍遥ら日本近代化の立役者たちの「世界に誇れる劇場を」という情熱から誕生した帝国劇場。
開場当時は「白亜の殿堂」と呼ばれ、三浦環(蝶々夫人で知られる日本初のオペラ歌手)が歌い、松井須磨子(カチューシャの唄で知られる日本初の歌う女優)が演じ、そしてアンナ・パブロワ(日本に初めてバレエを広めた20世紀初頭のバレリーナ)が舞ったそうです。

戦後になると、「屋根の上のバイオリン弾き」「レ・ミゼラブル」「ラ・マンチャの男」など、いわゆる東宝ミュージカルといわれるミュージカルの殿堂にもなりました。

番組では、親子4代にわたって帝劇と深く関わってきた松本幸四郎をはじめ、1966年から1364回の上演を数える「細雪」で長女を演じる高橋惠子、24年ぶりの上映となる「風と共に去りぬ」に主演した米倉涼子、「ミュージカル界のプリンス」との誉れ高い福岡市出身の井上芳雄、そして看板ミュージカル「レ・ミゼラブル」の初演から舞台に立つ鹿賀丈史などのゲストを迎え、今年100年を迎えた帝国劇場での貴重な舞台の映像を交えつつ、帝劇の歴史や感動秘話を紹介するとか。
まさに、帝劇のすべてが凝縮された決定保存版になりそう。
ミュージカルファンは絶対チェックです!

今回紹介されるミュージカル以外にも、来年1月に博多座での公演が決定している堂本光一の「SHOCK(ショック)」や滝沢秀明、タッキーの「滝沢革命」も帝劇でおなじみです。

そして東宝が未来のミュージカルスターを育てようとしているのが「東宝ミュージカルアカデミー」
「レ・ミゼラブル」のコゼット、エポニーヌ、マリウス、アンジョルラス。「ミス・サイゴン」のキム、クリス、トゥイ。「エリザベート」のルドルフ、「モーツァルト!」のヴォルフガングなどの役は、オーディションによりこのアカデミーから数多く排出しているのです。

ここで注目なのが平田 愛咲(ひらた あずさ)さん、福岡で一人芝居などを長年やっている女優の玄海椿さんの娘さんです。
8歳で児童劇団「テアトルハカタ」に入団。
この頃から博多を中心に九州各地を巡演した母の一人芝居で、前座としてタップダンスや歌を披露したり、出番が終わると裏方として音響や照明機材の操作を担当してきたそうです。
そして、16歳の春に単身上京。
東宝ミュージカルアカデミーに入学(3期生)、卒業後、マスタークラスに進級して、2011年4月からの「レ・ミゼラブル」にエポニーン役としてオーディション合格。

なんと、7月に行われた「第1回シルベスター・リーヴァイ国際ミュージカル歌唱コンテスト」で、グランプリを受賞しました。
シルベスター・リーヴァイ氏は「エリザベート」や「モーツアルト」「マリー・アントワネット」などのミュージカルを作った人。
愛咲ちゃんは、彼から自分のミュージカルに出演してほしいと言われたとか。

井上芳雄くんにつづき、国際的なミュージカルスターが福岡から生まれる予感ですねえ。

平田愛咲さんのブログはコチラ⇒http://ameblo.jp/kitty-no-pink-ribon/