筒美京平が作ってきたと言えるかもです、日本音楽業界!

名前は知っていても、どんな人か知りもしなかった筒美京平という人物。
その人が、2005年、BSフジの音楽ドキュメンタリー番組 「HIT SONG MAKERS 〜栄光のJ-POP伝説〜」で数十年ぶりのテレビ出演を果たしました。
番組は日本の大衆音楽史に大きく貢献した筒美の歩みの全体像が理解できる、優れたエンターテインメント作品であると評価され、その年の日本民間放送連盟賞・テレビエンターテインメント番組部門の最優秀賞を受賞しました。

私はそのシリーズがDVDになったので購入。
改めて筒美京平という人のすごさとかっこよさにしびれました!
51YGGMASPWL__SL500_AA300_.jpg
そして今年の5月にはNHK BSプレミアムの「希代のヒットメーカー 作曲家 筒美京平」に出演。
NHKのテレビ番組に出演するのは今回が初めてとか。
昨日、録画していたのを見て、ここに書いています。

とにかく、1970年代からほとんどの曲を知っているし、覚えています。
あのサザエさんのテーマソングも筒美さんです。
番組を見ていると1ヵ月に45曲も書きあげた時期があるとか
筒美さんのすごさを列挙すると、日本の作曲家別シングル総売上枚数は1位(2位・小室哲哉、3位・織田哲郎)。また、1960年代・70年代・80年代・90年代・2000年代にわたりオリコンチャート1位を獲得しています
最も作品が多かった年は1972年(第23回NHK紅白歌合戦)で、紅白合わせて7曲が歌われたそうです。何か知りたいひとは調べてください。

最も多くコンビを組んだ作詞家は、学生時代の先輩、初期のゴールデンコンビの相手である橋本淳
橋本さんに頼まれてこの世界に入ったと言ってました。
コンビでの作品数はシングルやアルバム曲などトータルで550曲を超えるらしい。

第2位は1980年代以降のゴールデンコンビの相手、松本隆で作品数は約380曲。
第3位が阿久悠で約120曲となっています。松本隆との対談もありました。

1967年に作曲家としてデビューした筒美京平の30周年記念アルバム。
1967年から1997年までに彼が作曲した代表曲をCD8枚に渡って収録したのが 「ヒットストーリー」。
51pYPgQw1GL__SL500_AA300_.jpg
レコードメーカー18社の協賛の下、162曲を4枚組2セットにまとめたものです
2600曲とも言われる彼の作曲群の中から、たったの162曲を収録しただけですから、少ないと言えば少ないのだけれど、レコード会社の枠を越えて素晴らしいヒット曲達が集まっています。

そのブックレットに吉田拓郎が書いていました。

「すごくいいナー」と思うと
必ず筒美京平の曲である
「やったナー」と思うと
やっぱり筒美京平の曲である
「whmm」と口ずさんでいるのは
いつも筒美京平の曲である
それに何と言ったって
「筒美京平」と言う名前がカッコいい

1940年生まれというから、もう70歳代の筒美さんですが、今でも月に一度、大学時代のジャズメンバーが集まって演奏しているそうです。
どこからどこまでカッコよくて、才能あふれる人。
この人がいてくれたからこそ、日本の音楽業界は色あせてないのだと確信しました!

「帝国劇場100年」の特別番組と、注目のミュージカルスター

帝国劇場は、東京都千代田区丸の内三丁目にある東宝の直営劇場です。
通称、帝劇と呼ばれています。

300帝国劇場旧.jpg
300帝国劇場新.jpg

この劇場のオープンは1911年、今年で100年目を迎えた帝国劇場のドキュメンタリーや関連番組がいくつかオンエアされる模様。
まずは21日(日)のNHKプレミアムで放送される、「帝国劇場100年〜夢と希望と感動の大舞台〜」。

伊藤博文、渋沢栄一、西園寺公望、坪内逍遥ら日本近代化の立役者たちの「世界に誇れる劇場を」という情熱から誕生した帝国劇場。
開場当時は「白亜の殿堂」と呼ばれ、三浦環(蝶々夫人で知られる日本初のオペラ歌手)が歌い、松井須磨子(カチューシャの唄で知られる日本初の歌う女優)が演じ、そしてアンナ・パブロワ(日本に初めてバレエを広めた20世紀初頭のバレリーナ)が舞ったそうです。

戦後になると、「屋根の上のバイオリン弾き」「レ・ミゼラブル」「ラ・マンチャの男」など、いわゆる東宝ミュージカルといわれるミュージカルの殿堂にもなりました。

番組では、親子4代にわたって帝劇と深く関わってきた松本幸四郎をはじめ、1966年から1364回の上演を数える「細雪」で長女を演じる高橋惠子、24年ぶりの上映となる「風と共に去りぬ」に主演した米倉涼子、「ミュージカル界のプリンス」との誉れ高い福岡市出身の井上芳雄、そして看板ミュージカル「レ・ミゼラブル」の初演から舞台に立つ鹿賀丈史などのゲストを迎え、今年100年を迎えた帝国劇場での貴重な舞台の映像を交えつつ、帝劇の歴史や感動秘話を紹介するとか。
まさに、帝劇のすべてが凝縮された決定保存版になりそう。
ミュージカルファンは絶対チェックです!

今回紹介されるミュージカル以外にも、来年1月に博多座での公演が決定している堂本光一の「SHOCK(ショック)」や滝沢秀明、タッキーの「滝沢革命」も帝劇でおなじみです。

そして東宝が未来のミュージカルスターを育てようとしているのが「東宝ミュージカルアカデミー」
「レ・ミゼラブル」のコゼット、エポニーヌ、マリウス、アンジョルラス。「ミス・サイゴン」のキム、クリス、トゥイ。「エリザベート」のルドルフ、「モーツァルト!」のヴォルフガングなどの役は、オーディションによりこのアカデミーから数多く排出しているのです。

ここで注目なのが平田 愛咲(ひらた あずさ)さん、福岡で一人芝居などを長年やっている女優の玄海椿さんの娘さんです。
8歳で児童劇団「テアトルハカタ」に入団。
この頃から博多を中心に九州各地を巡演した母の一人芝居で、前座としてタップダンスや歌を披露したり、出番が終わると裏方として音響や照明機材の操作を担当してきたそうです。
そして、16歳の春に単身上京。
東宝ミュージカルアカデミーに入学(3期生)、卒業後、マスタークラスに進級して、2011年4月からの「レ・ミゼラブル」にエポニーン役としてオーディション合格。

なんと、7月に行われた「第1回シルベスター・リーヴァイ国際ミュージカル歌唱コンテスト」で、グランプリを受賞しました。
シルベスター・リーヴァイ氏は「エリザベート」や「モーツアルト」「マリー・アントワネット」などのミュージカルを作った人。
愛咲ちゃんは、彼から自分のミュージカルに出演してほしいと言われたとか。

井上芳雄くんにつづき、国際的なミュージカルスターが福岡から生まれる予感ですねえ。

平田愛咲さんのブログはコチラ⇒http://ameblo.jp/kitty-no-pink-ribon/

高塔山ジャムにシーナ&ロケッツが出演

先週末、若松市民会館で行われたチャリティーライブで『ラーメン侍』のチラシを配布させて頂きました。
300チャリティコンサート.JPG
このチャリティーライブには『ラーメン侍』に出演されている鮎川誠さんの「シーナ&ロケッツ」始め、「ゴダイゴ」のギタリスト浅野孝巳さんや北九州市のアマチュアバンドなど5組が出演。東日本大震災の被災地の復興を支援しようと、若松市で避難生活を送る被災者150人を招待して行われたライブです。

「シーナ&ロケッツ」の出演前には映画の紹介もさせていただきました。
ちなみに鮎川さんは劇中でタケノコ堀りの名人というユニークな役を演じていらっしゃいます。
あんなにロックでかっこいいタケノコ堀り名人、実際にいるのか...いないのか。

このライブは7月29日~31日まで行われた「若松みなと祭り」の一環なんですが、ここで超局地的ゆるキャラ発見。
わかっぱです。
300わかっぱ.JPG
シーナ&ロケッツは高塔山ジャムにも出演します。
300高塔山ジャム.jpg
めがね_R (1).jpg

「水の祭典久留米まつり」に、急遽 中村有志さん出演決定!

300img-803184021-0001.jpg
現在開催中の「水の祭典久留米まつり」に、急遽中村有志さんの出演が決定しました!
劇中で中村さんは高木古都さん演じる"きな子"の父親役で出演されています。
親子で出演ですね~☆
明日8月4日(木)のパレードは15時48分ごろからです。
お近くの方は是非足をお運びください。めがね_R (1).jpg

読んで感動したので...

なでしこジャパンがなぜ。優勝できたのか?それを語っている人は多いと思いますが、そうだったのか!と心からかみ締めることができたのが、山本哲士さんのブログに書かれたものです。

山本哲士(やまもとてつじ)さんは政治社会学、ホスピタリティ環境学・企業環境学を専門とする学者さんです。現在は、文化科学高等研究院ジェネラル・ディレクター。

大分の麦焼酎「いいちこ」で有名な三和酒類の、企業文化広報誌『季刊iichiko』。
超領域的な専門研究の文化誌として、河北秀也デザイン、山本哲士編集で作られています。

20年ほど前に、河北さんが、福岡に連れてこられたことがあり、一緒に酒を酌み交わしたこともありました。
とても穏やかな風貌なのに、論文などを読むと過激です。
特に政治や脱原発に関しては、かなり思い入れ深く、ブログで語られてます。
ときたまのぞく山本さんのブログですが、今回は熱く、なでしこジャパンを語っていました。
長い文章ですが、抜粋すると伝わらなさそうなので、全文掲載させていただきます。読んでください。
*文中に出てくる「述語パワー」はちょっと勉強する必要がありそうです。

<なでしこJAPANの述語パワー>

だんだんとなでしこJAPANの、決勝戦の分析が、明確になってきている。
USAのワンバックは、時間がたつにつれて強くなっていく日本チームに驚いたと回想していた。

USAは、前半できめてしまおうと猛攻撃からはいった。
前半、15分、日本は浮足立った、なんども危なかったが、USAはシュートを決めきれなかった。
イギリス戦での負けから、ボールをキープすることの重要性を反省していた日本。
まず、海堀が、ゴールキックを打たずに、バックへ渡すようにして、ボールをキープしていける落ち着きを戻させる、岩清水は、会場からブーイングがかかろうが、気にせずに「攻め急がない」という方針をとる。結局、前半戦のボールキープ率は、日本の方が多くなった。ワンバックは、苛立っていた。点をいれさせず、しのいだ日本は、自分たちのペースを取りもどしていった。

後半戦、USAは動く。動きの速いモーガン選手を入れて行く。永里が、パスせずにボールをひとりでキープしようとしていた、そこを奪われ、一挙にカウンターで、俊足モーガンに決められる。24分であった。ワンバックは、これで勝ったとおもったという。
ところが、澤が、選手たちを鼓舞する、大丈夫、大丈夫と。あきらかに、熊谷も岩清水もちょっと沈んだ顔をしていたが、だんだんと元気になっていく。
「苦しい時は、わたしの背中をみなさい」と言っていた澤の声を忘れずに、宮間は、確実にボールをキープしながらゴールチャンスを狙って行く。そして、皆で走って、守って、攻める、という述語サッカーをし続け、ついにうしろから走り込んだ宮間が、こぼれ球を冷静に、名キーパー、ソロの力をみぬいて、ぎりぎりのところへうちこんで、同点に追いつく。日本は、ここで、勝てるんではないかという気になったと、阪口は振り返っていた。

終に、延長戦。
前半、USAは、ワンバックがヘッドで決めて、1点をとる、これでこんどこそ勝ったと、ワンバックは確信したという。
ところが、日本はNever give upできた、こちらが勝ったと思うと、日本のチームワークがさらに高まり、全員が向ってきた、とふりかえっていた。普通ならあきらめる、それがなでしこチームは、逆であった、というのだ。
澤は、自分がむしろあせっていたが、周りの若いメンバーたちの方が今度は逆に落ち着いていた、とふりかえる。まだ、いけるよと、選手たちは声をかけあっている。
宮間は、顔色ひとつかえない、冷静沈着である。中堅は、ベテランを支え、若手を鼓舞する。

実は、試合開始の5時間前に、選手たちは、1981年からの日本サッカー女子チームたちの軌跡のビデオを全員で観ていた。どれほど、先達たちが苦労してきたか、今自分たちが決勝戦にたてた、それも長い歴史の結果であることを、心身に刻み込んでいた、いまでさえ、仕事しながら好きなサッカーをしている、そこに中途半端さがないことを、いやというほど知っている、それが全員に領有されている、そこから湧き出してくる述語パワーである。

延長戦の後半、川澄は、監督に、自分がサイドの中へ入り丸山を前にだして、自分が動いてパスまわしをし、決めていこうと、提言していた。
それがなんども繰り返される、そしてついに、あの宮間と阪口と澤が、話しあって二アにボールを宮間がおくる、それを澤が飛び込んで決めるという、もう意識をこえて、しみこんでいる連携プレーで、あざやかなシュートを決めて、追い付く。
ワンバックは、もう追い付かれるなど、ありえない、という出来事に出くわして、もう駄目だとなっていたようだ。
どんなにひきはなしても、逆に、チームワークが高まり、ソロがふりかえっていたように、なにかとりつかれたような巨大なかたまりがせまってきた、といっている、その猛攻撃に、USAは力尽きた。
しかし、王者USA、モーガンが再び突進してくる、それを岩清水が、身体を張って、阻止、レッドカードで退場となるも、ファインプレーだと仲間たちからたたえられ、しょげることなく、ひきさがる。すでに、アディショナルタイムに入っていた。
フリーキックを、皆で必死でさばき、球にくらいつく澤。

ついにPK戦へ。
澤は、わたしはいやだといってPKを回避、ひたすら「サッカーの神様」と天を仰いで、祈っていた。
海堀の、超技、脚で述語的に、ボールを止めた。
宮間は、きっちりきめ、あのガッツポーズ。
USAは、もう意識で、勝ちをうしなっていた。
日本は、緊張の中、しかし、のびのびとPKに臨んでいた。

勝利が、きまったその瞬間、選手たちは、一斉にゴールの方へむかってだきあっていたが、宮間ひとりは、そちらへいかず、ゆっくりとUSA選手たちのほうへいき、彼女たちをたたえていた、これがすごい。
映像で、宮間が別の方へ歩いていく、その瞬間が、残っている。感動的な、裏のシーンだ。
ワンバックは、澤によってきて、「おめでとう、あなたを誇りに思う」、とたたえたという。澤は、独りでは、USAに勝てないけれど、皆で立ち向かって勝てた、とワンバックに言ったという。

USA選手たちも、脱帽した、世界中が、日本の勝利をたたえた、述語サッカーをやりぬいた日本の、確かな勝利だと認めた。偶然ではなく、実力である、と。
「窮地に立たされると、力を逆に発揮していく」、それが述語サッカーをやりぬいた日本の、確かな勝利だと認めた。偶然ではなく、実力である、と。
宮間は、きっちりきめ、あのガッツポーズ。
USAは、もう意識で、勝ちをうしなっていた。
日本は、緊張の中、しかし、のびのびとPKに臨んでいた。
勝利が、きまったその瞬間、選手たちは、一斉にゴールの方へむかってだきあっていたが、宮間ひとりは、そちらへいかず、ゆっくりとUSA選手たちのほうへいき、彼女たちをたたえていた、これがすごい。
試合後、ソロと宮間とが、談笑し合っている写真が、USAでは一番見られているという。USAの選手たちも、えらい。

ロンドン・オリンピックが、滅茶苦茶に楽しみになって来た。
同時に、なでしこリーグの、日本での悲惨さが浮き彫りになって来た、よくこれでやり続けてきた、立派である、頭がさがる。

男子、フランスワールドカップのとき、わたしたちスポーツ学者たちに女子サッカーの関係者がひとり、同行していた、女子サッカーをなんとかしたいのだ、とそれを、他人ごとでしかみていなかった自分である。
女子サッカーは、日本でしかしえない述語的サッカーを、実現した。
今度は、ザッケローニの番だ、ブラジル大会では、男子の述語的サッカーをしあげてベスト4以上に行くと思う。
コパ・アメリカでは、やはりアルゼンチンをやぶったウルグアイが優勝した。ブラジルもアルゼンチンも負けた。

もう、変わってきている。主語的サッカーは勝てなくなってきている。
団結力とか組織力とか、そういうものでは勝てない、述語パワーが働いてこそ勝てる、それがどういうものであるのかを、これほど明確に見せてくれたものはない。
この、述語的純真さに、物象化がどこにもないのだ、これは驚きであった。対象的に疎外されたものが、どこにもないのだ。
述語行為の作用には、四肢間構造が無い、ただAとそれが産み出すaがあるだけだ。USAには、四肢間構造が、うまれてしまっていた。