限定チョコ箱到着

今週末から紺屋ギャラリーで始まる期間・数量限定のチョコショップ用の箱が到着しました。 野呂デザインのロゴ箔押しが映える素敵な箱です。 後は中身が来るのを待つのみです。 ぜひ近くをお立ち寄りの際は起こし下さい。 詳しくはkonya-gallery HPにて。


from I-phone

場所:福岡市中央区大名1-14-28

嬉しい五円

いつもよく食べに行く、近くの中華屋一宝軒に行ったら帰りにくれたけっこう嬉しいもんです。小さな気配りのあるサービスは重要ですね。来年も良い年になりますように。さあ、年賀状の続きを頑張ろう。こりゃ寝れないな。



場所:1丁目,福岡市,日本

やれることはなるべく早くやった方がええよ

大正元年生まれの祖母と話していて、そう言われた。

第一線で仕事をしている人や先輩などからも良く言われるが、
あと少しで1世紀生きることになる人に言われると、その重みはまた全然違う。

まだ関東大震災も第1次世界大戦も起こっていない
まだ韓国は李氏朝鮮で、中国も清である時代
祖母は今でも、北朝鮮と韓国のことを、北鮮・南鮮とついつい呼んでしまう。
祖母にとっては北と南に分かれてからの方がまだ短いのだ

祖父と6名もの子とともに北鮮に第二次大戦前に移り、
まだ歴史上終戦でない時期に、既に生活の中で敗戦を肌で実感し、
それまで祖父の部下だった朝鮮の人々がある日から上司にとってかわり、
そこにソ連兵がやってきて占領し、また更に人間の上下関係が変わり、
ある晩に他の6家族とともに逃げ出し、
地図も何も無い中、小さな子ども6人の手を引き、必死に南鮮に向かい、
やっと着いた街ではコレラが発祥していたために米軍によって隔離されてしまっていて、
また逃げ出し、這々の体で釜山から引き揚げ船に乗り込み、
佐世保に着いたと思ったら、コレラが流行った街から来たという理由で、5日間も海上で待たされ、
本来米軍から引揚者に支給されるために提供されたはずの食料は全て船長と船員が独占し、
代わりに粟のおかゆを食べさせられ、そのために栄養失調で次々に周りの人々が飢えで倒れていく
亡くなって行く人々をそのまま船に置いておくわけにはいかないから、船上から海へと次々に遺体は放り投げられていく
やっと上陸したと思ったら、日本の主要都市は焼け野原
祖母の実家のあった住吉は川崎重工があったため、
平な場所が見当たらないほど焼夷弾の後で地面は穴しかない
そんな街の駅で停めても仕方ないからと、佐世保からの貨車は広島〜神戸間は止まってはくれず、ただただ過ぎる風景として見ているしかない
やっと停まった大阪駅
近くの親戚宅に一旦居候するも、やはり家のある大津まで帰ろうと、1ヶ月滞在しただけでまた移動する
京都、滋賀は空襲を受けなかったため、焼けておらず、周囲の家も人も無事
でもかえってそれが仇となった
空襲を受けなかった土地の人々は引揚者に冷たかった
家にはいつの間にか勝手に他人が住んでいた
自分の家なのに2階に一家で居候する生活
子どもたちが小学校へ行っても、配給品を巡って、争いが起こる
「引揚てきやがって。こっちもきついのになんで戻って来たんだ。物がますます足りなくなるじゃないか」
そんなことを小学1年生が同級生の引き揚げて来た子に言う
一方で、別の小学校では
「僕たちは要りません。先生、引き揚げて来た人たちを優先して下さい」
と言う子がいたりもする。
※これは、地元の市立小学校と滋賀大付属小学校の話で、
 そういう究極の状態の時の選択と判断、しかも子どもという純粋な段階での人の発言が、
 土壇場の教養や教育(知能や知識という意味ではなく)の重要性をあからさまにする
そんな露骨な人の性分を感じたりしながら、必死で6人を立派に育てた

やれるのについついやらないことが人はあるから、思い立ったらすぐにやった方がいいよ
とかいう平和な話ではなく
やりたくてもやれないことが人生にはある
やりたいときとやれるときは必ずしも一致しないことがある
だから、やれるのならやれることは今やらないと二度とできなくなるかもしれない

そういう意味と経験がその言葉には含まれている
もちろん祖母はそんなに、重たく、説教地味て言ったのではない
ごくごく自然にさらっとそう言った
だからこそますます重たい

僕ら経済発展後世代は本当に恵まれている  
いや、ある意味そういう経験ができない分、損をしているとも言えるかもしれない
戦後世代の苦しい時代さえ知らない 高度経済成長期のような分かり易い生き甲斐もない
そんな僕に時間の貴重さなんて分かるはずが無い

本当の時間の大切さ 一生は刹那である 

それを分からないなりにもせめて意識して過ごしたいものだ

明日は何をすべきで僕は何をしたいだろうか 




いちごは野菜 / no.d+a

なんと栽培上、いちごは野菜だった

野菜と果物の境界はどこなのか

日頃慣れ親しんでいる言葉でも、その定義がはっきりしていないことは多い