帰省の途中で

二ヶ月ぶりぐらいに行ってみると、博多駅の新幹線改札口が新しくなっていた。もちろんまだまだ途中だが、あ、新しくなった、と感じるぐらいまでは来ている。色は黒がベースのようだ。高校時代の京都駅に続き、なんだか駅の改築に縁がある。おかげで工事中の不便な駅をよく経験するのだ。
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さらばバスカード / no.d+a

いつの間にか西鉄バスカードの販売が終了していた 
ニモカへの完全移行も近いようだ 
ニモカは便利だ。
来春からスゴカやハカヤケンと共同利用になるらしいし、噂ではスイカとも互換性が生まれるらしいので、そうなれば、JALニモカ一枚で福岡東京の行き来は済むようになる。 
でも、バスカードはバスカードでお得だったし、絵柄も色々あって、それはそれで良かったから、ちょっぴり残念だ 
技術革新によって変わる、目に見えない変化には、なるべく注意して、自分が何を失い何を得たのか認識しておきたいところだ。

人の心理と都市環境

人の気持ちの余裕は環境に大きく左右される

当たり前のようだが、無意識に作用してくるので、自分のこととして自覚するのは難しい

大都市の人が田舎の人に比べて余裕がない

というのも頭では理解できても、自分がどの程度余裕が無いのかは認識しがたい

例えば 東京と福岡の地下鉄車内

東京ではほとんどあり得ないことだが、
福岡では、席が空いていても、立っている人がいる
これは、
「座るほどの距離でもないか」
「1〜2席しか空いていないから、誰か座りたい人に譲ろう」
というような心境からではないか。
これは日頃から、座ろうと思えば座れる程度の込み具合、だったり、
どうしても座らないといけないほど日頃から疲れてはいない
からだろうか。
つまり福岡の人は東京の人に比べて日々の生活にある程度余裕を持てているのだ。
東京の人は、日頃座れないし、疲れることが多いから、我先にと席を取り合う。
東京に住んでいる時は意識しなかったが、福岡に住みながら時々行くようになって、かなり見ていて醜いものだと思う様になった。

しかし福岡の人もある地域の人と比べれば余裕が無いはずだし、日本自体が他の国と比べるとかなり余裕が無い国と国民になっているはずだ
それに福岡の人も、福岡が大都市化すれば、おそらく東京同様、余裕の無い人のまちになっていく。

そこで生活する人はそこで生活するなりの心の持ち様になる。

逆にいえば、

心の持ち様を周囲の生活環境に逆らっててでもコントロールすることは難しい

19世紀、20世紀と、怒濤の変化を遂げ、21世紀も刻々と変化している。
環境を考慮するようになったとは言え、それでも途上国は、やはり先進国のようになりたいと、経済発展に邁進している。

経済が発展することは良いことだ。

経済が発展したからこそ享受している生活がある

しかし経済が発展したことによる弊害もある
そして、弊害がかなり具体的に分かってきた。

その弊害に、これから経済発展しようとしている国が直面することも分かっている

その時、弊害を知っていながらそれを伝えないのは、なんだかまずい気がする

都市でありながら、田舎のような心の余裕を持てる環境

資本主義と民主主義を維持しながら、文化的な豊かさや教養と良識のある人が住む社会

そんな環境はやはりただの理想に過ぎないのだろうか

模索するだけなら損は無いように思うのだが




段階と先

ものごとには段階がある その段階が用意されていない場合は、作らなければならない 布石を打つ 経緯を読む 逆に言えば、以前は許されていたことが、段階を進むと許されなくなる そこが難しいし、醍醐味でもある

ゆっくり急ぐ

派手でも儲かるものでもまったくないが、ちょっと面白そうな企画が動き出しそうだ

でもこれはすごく長期的なものだ

何かが動き出す瞬間というのは独特で新鮮な清々しい空気がある

でもこの瞬間の鮮度をどれだけ維持しながら進められるかが重要で難しい

善は急げ

急がば回れ

善は急がば回れ

このバランスが難しい