人の心理と都市環境

人の気持ちの余裕は環境に大きく左右される

当たり前のようだが、無意識に作用してくるので、自分のこととして自覚するのは難しい

大都市の人が田舎の人に比べて余裕がない

というのも頭では理解できても、自分がどの程度余裕が無いのかは認識しがたい

例えば 東京と福岡の地下鉄車内

東京ではほとんどあり得ないことだが、
福岡では、席が空いていても、立っている人がいる
これは、
「座るほどの距離でもないか」
「1〜2席しか空いていないから、誰か座りたい人に譲ろう」
というような心境からではないか。
これは日頃から、座ろうと思えば座れる程度の込み具合、だったり、
どうしても座らないといけないほど日頃から疲れてはいない
からだろうか。
つまり福岡の人は東京の人に比べて日々の生活にある程度余裕を持てているのだ。
東京の人は、日頃座れないし、疲れることが多いから、我先にと席を取り合う。
東京に住んでいる時は意識しなかったが、福岡に住みながら時々行くようになって、かなり見ていて醜いものだと思う様になった。

しかし福岡の人もある地域の人と比べれば余裕が無いはずだし、日本自体が他の国と比べるとかなり余裕が無い国と国民になっているはずだ
それに福岡の人も、福岡が大都市化すれば、おそらく東京同様、余裕の無い人のまちになっていく。

そこで生活する人はそこで生活するなりの心の持ち様になる。

逆にいえば、

心の持ち様を周囲の生活環境に逆らっててでもコントロールすることは難しい

19世紀、20世紀と、怒濤の変化を遂げ、21世紀も刻々と変化している。
環境を考慮するようになったとは言え、それでも途上国は、やはり先進国のようになりたいと、経済発展に邁進している。

経済が発展することは良いことだ。

経済が発展したからこそ享受している生活がある

しかし経済が発展したことによる弊害もある
そして、弊害がかなり具体的に分かってきた。

その弊害に、これから経済発展しようとしている国が直面することも分かっている

その時、弊害を知っていながらそれを伝えないのは、なんだかまずい気がする

都市でありながら、田舎のような心の余裕を持てる環境

資本主義と民主主義を維持しながら、文化的な豊かさや教養と良識のある人が住む社会

そんな環境はやはりただの理想に過ぎないのだろうか

模索するだけなら損は無いように思うのだが




新幹線の大人の事情:博多南駅

博多南駅

昔から謎の駅で気になっていた

なぜ博多駅の次に、博多南駅があるのか

そこまで延ばす必要性があったのか

なぜ博多南駅のためだけの博多南線という路線があるのか

初めて行ってみた

要するに新幹線の格納駅だった

博多駅には格納するところが無い

他に作るしかない

探したら春日になった

だったらそこも駅にするか

そんなことで出来た駅だろう

1駅しかないけど、おそらく路線名が必ず必要で、だから博多南線

新幹線のためだけの駅 在来線は止まらない

4車両だけで、全席自由席

乗車賃も290円と、これは新幹線か、と思うほど安い

駅舎も驚くほど簡素

今まで見た新幹線の駅のホームと改札の中で一番簡素だった

その辺の在来線の駅より簡素だ

逆に駅舎は思ったよりしっかりしていて、ロータリーも大きい

これはたぶんJR西日本とは違う管轄なのではないか

だいたい新幹線の終着駅ためだけの駅ってもしかしてここだけなんではないだろうか

東北新幹線の仙台駅は在来線も止まるし、上越新幹線にしても在来線と乗り合っている

九州新幹線は、山陽新幹線とはつながらないから、この博多南駅は通らない。

大人の事情が垣間見える博多南駅

やはりただの駅ではなかった


ややこしいことは考えない

イケイケどんどんの人を見ると
もしくは あまり意味とか意義とか考えずに動いている人を見ると
つい大丈夫なんだろうかと思ってしまうが、
それでいいのかもしれない
むしろその方がこの社会では成功する

ソーラー発電と原子力発電 / no.d+a

ソーラー発電は個人住宅の屋根から
原子力発電は大規模な施設から

どちらも環境に優しい発電技術として注目を集めているが、そのプロセスは全然違う

どちらがいいかは分からないが、なんとなく21世紀には、個人個人から発電できるソーラー発電の方が向いている気がする

技術が個人個人に提供されているのは良いことだ

安定性と柔軟性

この話 読んでいて、
けしてお局様になりそうな女性だけの話ではない、と思った

「崖っぷちに立つお局様にならないために」
http://www.excite.co.jp/News/column/20091029/Dokujyo_4419374.html

むしろほとんどの人がこうなりがちなのではないだろうか

特に
・新しい仕事ややり方を変えることを嫌う。
という項目は、分かっていても 実際いざ直面するとけっこう難しい

つねに謙虚にいようとしても
知識や経験がついてくれば自然とそれらにもとづいた価値観は形成されてしまう

それが 知恵 と呼ばれるのか 頑固 と呼ばれるのかは 紙一重だ。

つねに新しくありたいと思うし、つねに変化に対応したいと思うが、

周囲に流されたり 軸が無い状態になることは避けたい

こういうことで悩む時、

毎回、理想は水だ、と思い出すようにしている。

H2Oという化学記号は一定でも、

気温に応じて 氷ー水ー蒸気 と変化する

こうありたいものだ。