リンとルーヤンによる灯明アート

アジ美に滞在中のアーティスト、リン(ベトナム)とルーヤン(中国)の二人が、博多灯明に参加。
ルーヤンは映像、リンはレイアウトの作品の様です
雨で他のイベントが中止になり不運でした。

なお、二人の滞在成果発表の初日は、こちらのLuisaのオープニングと同じ日です。彼女たちのオープニングは昼間にあるので、12日はぜひ、アジ美ー紺屋のコースでアートな土曜日を楽しんで下さい






from I-phone

身近に感じるグローバル

今日から紺屋2023のステイにベトナム人が暫く滞在する
しかしその滞在することになった過程が面白い。
1月いっぱいインターンに来ているドイツ人留学生の紹介で来たのだが。
まず、そのインターンの学生。
ドイツ人はドイツ人でも、アメリカ育ちのメキシコ系。
ベトナム人は、ベトナムからドイツに留学している学生。
ということで、アメリカ育ちのメキシコ系ドイツ人が日本に留学しに来ていて、彼を頼ってドイツに留学しているベトナム人が日本に来ている、ということになって、もう何がなんだが分からない。
新年早々世界の構図を肌で感じた。


from I-phone

尖閣諸島の映像流出と世論の関係

尖閣諸島での漁船衝突事件の映像が流出した事件。
すっかりメディアの報道の中心は、その保安官をどうするか、といったところに移ってしまい、
もはやニュースにもならなくなってきた。
しかし、ここでこの件を止めてはならないと思う。

流出させた保安官も、映像を国民に公開せよと叫んでいた政治家も、
「世論が見たいと言っている」
を根拠にして、発言していた。

しかし、本当に果たして皆が見たいと思っていただろうか、と思うのだ。

もちろん「興味本位」で見たかった人はたくさんいるだろう。
それは、ニュースになっている有名な事件のその瞬間を見たい、という
「衝撃の瞬間!!」や「警察24時!!」的な番組を見たい気持ちと変わらないのではないか。

しかし、政治家や保安官が言っていた、「国民に見せるべき」という思いは、
「民主主義の国として国民に情報を公開し、国民が共有した上で、国全体で議論すべき」
というところにあるのではないかと思う。
政治家はどうか分からないが、保安官は少なくともそういう思いがあったのではないか。

しかし現実は、かなり無責任に街頭で応える「世論調査」というものがその根拠になっていて、
本当にその人が、国民としてそれを見た上で議論したいから見たい、と言っていたどうかは分からない。
いや、はっきり言って「国民として見ておかなければならない」「そしてそれを見たことに俺は責任をもって議論する」という気持ちで調査に応えた人はたぶんほぼ皆無で、
ただただ「見てみたい」でしか無かったのではないかと思う。

そんな、「いや、俺は別に見たいとは言っていないよ。でもみんなは見たいんじゃない?」
的な誰も責任をとらない状況で生まれた調査結果と空気が、保安官の気持ちを動かし、
映像流出へと働いたのであれば、これはかなりまずい状況だと思う。

何度も何度も繰り返し反省させられる戦争もたぶん、「いや、俺は責任をもって、戦争した方がいいとは思ってなかったんだけど、みんながさあ、」という人達がほとんどで、でもそんな人たちがつくった「世論」がなんとなく戦争賛成に動き、それをメディアが煽り、政治家と軍が勘違いして、と動いていったんじゃないかと思うことがある。

実際、煽ったメディアはもう取り上げてさえないし、ましてや映像を見た上で議論がさらに深まったとも思えない。国民も全然そんな議論していないし、むしろ、「へえ、こんな感じだったんだ」「映像見たし、気は済んだ」みたいなことになっていて、まったくもってどっかのテレビ番組の決定的瞬間を見たあとの家の中の空気と変わらない気がする。

このメディアと世論調査、なんとかならないものだろうか。

民主主義が浸透していて、個々が自分がその発言に責任をとる、という上での調査と、
なんとなく民主主義の国にいる人達がその時の気持ちで発言している調査。
これは雲泥の差であり、後者はまさに大衆調査だ。

そんな大衆による世論が、政治や外交、ましてや守秘義務にさえ影響を与えていることこそ、
大きな問題ではあり、ジャーナリズムが取り上げるべきことなのではないだろうか。
ここが変わらなければ、また戦争になったっておかしくないと思うのだ。

マスメディアの真意と真価って

中国との尖閣諸島問題を各メディアがこぞって取り上げている。

流れてくるメディアの情報だけを見て聞いていれば、
「中国が無人島への領有権を100年たって急に主張してきた。
 東アジアおよび世界への玄関、そして海底にねむる石油をにらんでの、
 私利私欲的行動。日本のみならず東南アジアの国々にとっても脅威。
 アメリカも危機感を抱いている。」
といった、かなり一方的な中国批判の報道だ。
これを聞いていると、こっちも嫌でも煽られて、
「まったく中国という国はなんて国だ」
「理解に苦しむ国だ」
という気持ちになってくる。

しかし、本当に報道されている内容が正しいのかどうか。
いや、報道から受ける「印象」が正しいのかどうか。

そこがすごく重要だ。

ささやかながらでも取材を受けたことのある身の経験から言えば、
メディアというのは、かなり独自の台本に基づいた報道をする傾向がある。
既に自分の中でストーリーをつくってから現場にやってくる。
はっきり言ってドキュメント映画と変わらない。
ディレクターはあたかも監督のようにシナリオを書いて取材し編集し報道する。

例えば今回の問題も、各社ほとんど同じ様な内容で、煽るような報道だ。

全てが同じ、というのはどうにも気持ちが悪くはないか。

8割同じで2割違う なら その8割や2割には信憑性があるが、
10割同じというのは、どうにも信用がならない。
ほんとに現場に行って、しかもそもそも現場に数年間滞在して、
そこまでの国の経緯や空気感などを知った上での、その上での報道だろうか。

中国と日本を頻繁に行ったり来たりしている商社の知人がいるが、
いつも彼から聞く中国の話は、まったくメディアから感じるものとは違う。
少なくとも「よく分からない国」という印象はない。
いいも悪いもはっきりとした方向性があってビジネスも政治もしている国
といった印象で、そういう意味ではアメリカなどと変わらない。
むしろ日本の方がビジネスも政治も方向性がはっきりせず、「よく分からない国」ではないか。

マスメディアがイデオロギーを持っているのは悪いものではないし、むしろそうあってしかるべきだろう。
しかし今のマスメディアははっきりとしたイデオロギーがあるわけではない。
冷戦構造が崩壊して、主義らしい主義は無くなった。
あるとしたら視聴率主義だろうか。そして大衆煽動主義だろうか。
要するにマスメディアこそが「よく分からない」時代なのだから、
そこが報道する情報ははっきり言って「嘘半分」で聞かなければいけないわけだ。
だってどの局も同じ報道ってそれは絶対におかしいのだから。

今は僕らメディアから情報を受け取る側がある意味試されている時代と言っても過言ではない。

高い意識が必要だ。

これは、用心していてもかなり影響を受けるのだから、かなり難しいことだ。

それは中国国民だってそうだ。
おそらく中国国民や北朝鮮国民を見て、「国の言うことばっかり信じてるなんてなんて馬鹿な」
と思っている日本人は少なからずいないだろうか。
でも彼らが僕らの環境と実はさほど変わらないとしたらどうだろうか。
向こうも自国のメディアの情報を頼りにしているし、それで判断している。
そして「なんて日本は勝手な国で、全然戦争から懲りて無いじゃないか」
と思っている可能性は無いだろうか。
例えば日本で少数派が反中デモを行い、あたかも中国メディアがそれを全日本国民の総意のように
報道したら中国人はどう思うか。
もしかしたら日本のメディアが取り上げる反日デモがごく少数の人の行動なのかもしれないのだ。

結局両国ともメディアなどに大きく影響を受けて判断していて、
実際に自分が行って確かめたものでもなければ、実感からくるものでもない。
なのにこういった重要なことに限ってメディアの影響を受ける。
というかこういう次元のことはどうしてもメディアを頼らざるを得ないからはっきり言って仕方無い。

だからこそ、メディアはもっと多角的な報道をしてほしい。
そして、たいしたイデオロギーが無いなら、ただただ正確に情報を流して欲しい。
ある一部の人の意見やある一部の現象、ある発言の一部だけをを使うような、
そういった、情報に誤りはないが「勘違い」させる、報道は避けて欲しいと切に願う。

僕はまだ中国本土に行ったことはない。
だから今回の現実はよく見えていない。

でも自分が確かめるまでは、マスメディアの報道を鵜呑みにはしたくない。
あくまでも一つの側面であるとして見ておきたい。

そう肝に銘じる。



情報の偏りと国の偏り

ちょっとナイーブな問題だが、勇気をもって触れてみたい。

それは北朝鮮問題の話。

触れると言っても、政治論を書くわけでもないし、だいいち、専門家でも無いので、それは避けたい。

ただ、純粋に報道を見ていて感じることがあるので、それをメモ的に記しておきたい。

それは、情報の隔たり(へだたり)による偏り(かたより)だ。

北朝鮮への外からの見方、つまり北朝鮮外からの各国の見方に関する情報は、どんどん入ってくる。
中国がどう考えているかははっきり分からないものの、それでも多少は見えてくる。
この情報技術が発達した社会では、昔以上にそういった情報を一般大衆もマスコミもつかみやすくなっただろう。
しかし、北朝鮮からの情報はまったく入って来ない。
これは当たり前と言えば当たり前。国自体が情報を絞ってしか発信していないし、ましてや民衆から発信されることはあり得ない国だからだ。

でもどうだろう。
だからといって北朝鮮が何も考えていないわけではないし、市民も何も知らず考えていないわけではないはず。
統制されているとはいえ、何らかの事情と状況があるはずなのだ。

しかし情報が流れて来ないことで、何も考えていないと思われたり、得たいが知れないと思われたりしていて、まるで別の生物を眺めているような雰囲気が、報道にはある。そして、勝手な憶測、しかも安易な憶測が流れているように思われる。
でも相手は人間だ。主義や体質、習慣は違えど、何か事情があるのは事実じゃないだろうか。

ここにあるのは、コミュニケーションが不測している者同士に生じ易い、誤解やもめ事に似ているものがあるように思う。仲間内の情報だけを頼りにしていて、事実をつかめるはずはない。

そして、この状況こそ、
ちょっと似ている状況がかつてあったのではないかと思う状況なのだ。

それは二次大戦前の日本と世界の関係。

ここからは、浅い知識による想像の世界だが。
大国のアジアへの植民地支配に抵抗し、アジアで初の主権国家を目指していた日本。
やり方もした事もほとんど間違ってしまったが、目指したのは確かだろう。
つまり当時体勢を占めていた欧米とは別の対立軸を打ち出したわけだ。
その時、他の大国は、様々な理由と立場から、経済制裁をかけ、様々なプレッシャーをかけてきた。
日露先生や日清戦争では、当時としては合法であった法に従えば得れたはずの戦勝国としての対価も、ほとんど得らせてもらえなかった。
すると国は衰弱し、貧困が増し、内政は混乱し始める。国は国民のために、他の大国もやっていることであった、植民地や国土を広げようと、大陸へ出て行く。
しかしそれを侵略行為とみなされて、国際社会から非難され孤立していく。
確かに植民地支配は良くないし、やりかたもまずかった。
でもアフリカ大陸における欧米のそれと比べたら圧倒的に悪いとは言えなかったはず。
台湾では今でも親日の人が残っているぐらいだし、満州国は五国共和を掲げ、植民地とは呼ばなかった。それに比べ、アフリカは今でも植民地時代の影響による民族紛争が続いている。
でもやっぱり力が上の方が価値のイニシアティブを握るもの。
そういう日本の主張はかき消されていっただろう。
満州事変をはじめとする各事変も、あくまで日本の侵略行為と一方的に見なされた。
どちらが挑発したか、とか、どちらが喧嘩を売ったか、などは闇に消えて分からなくなった。
そして日本は今でいう、テロ指定国家になったわけだ。
ますます窮地に追い込まれる日本は、国内の民衆による政府への反発が高まり、軍部への期待が膨らんだ。
そして、軍部の暴走と軍部主導による大戦突入へ。

今の北朝鮮情勢と似ているなと思う点は
・世界の大勢と違う主義と方向性が否定されている
・経済制裁を受け、ますます国内が不安定になっている(らしい)
・軍部が主導権を握り始めている(らしい)
・微妙な国境線でのもめ事だが、全て非が北朝鮮にあると決めつけられている
・世界中からテロ国家と思われている
・ごく少数の国家と手を組んでいる(らしい)
・国内の現実や空気が他国へ伝わっていない
・国外の情報が正しく入っていない(はず)
などだ。
特に最初に触れた、情報不足とコミュニケーション不足による相互理解の不足は、よく似ているのではないかと思うのだ。

僕はけして北朝鮮を擁護する気もないし、大戦中の日本を正当化するつもりも無い。むしろ北朝鮮には早く安定的で民主的な国になってもらいたいと切に願っている。

しかし、かつての日本がそうであったように、軍部以外けして誰も最初から大戦など望んでいなかったのに、誤解が誤解をよんで戦争に突入していく、そんな状況だけは避けて欲しいと思うのだ。

どこか第3国(中国でもアメリカでも国連でもなく)が正確な情報をもとに相互の間をとりまとめれないものだろうか。それは、国でなくても、民間でもいい。いやむしろしがらみの無い民間がいいのかもしれない。

とにかく、今の、「こちらの情報と考えは絶対に正しい」として責めよる報道と世界の風潮に強い危機感と違和感を感じるのだ。
こういう時こそ多角的な視点と深読みしてみる姿勢が重要だと思う。
今こそメディアはその多様な価値観をうまく世界に伝えて欲しい。