i-phoneとケース / no.d+a

i-phoneを持っている人の数が周りでもどんどん増えている

そしてほぼ全ての人がケースも持っている

そのケースのほとんどは、常時i-phoneをカバーするタイプ、のもの。

つまりほぼずっとケースをi-phoneから外すことはない

なぜケースを買うのか、と言えば、

それはもちろんi-phoneの保護のため。

奇麗で光沢のあるボディを少しでも傷つけないようにするためだ。

i-phoneを購入する人にとって、この美しく格好の良い意匠は、けっこう重要だ

おそらく意匠がださかったら買わなかったという人は多いはず。

でも、ここでちょっと考えてみる

その惹かれたはずの意匠は、ケースに包まれたら見えなくなるではないか

逆にいえば、そもそもケースを付けている時のような見た目の意匠だったら、買わなかったのではないか

意匠に惹かれて買う 
→その意匠を保護するためにカバーする 
→カバーされたi-phoneはカバーされていない時よりもダサクなる
→惹かれたはずの意匠とは無関係の、格好悪い携帯を持っていることになる

これは小さな話だけど、けっこう無意識に本末転倒しているケースだ

気がつくとけっこう悔しい

ちなみにこの袋状のケースはそんな部分を解決してくれている

ちょっと不便だが、デザインが大切にされている気がする

※BABUSCHKA iPod CASE / バブシュカ アイポッド ケース

トリエンナーレ

昨日、現在来福中で紺屋滞在中の絵描き淺井裕介くんと、福岡アジア美術トリエンナーレに行った

そして思った

トリエンナーレってなんだろう

今日本全国トリエンナーレブームだ

福岡でも福岡アジア美術トリエンナーレが開催中

トリエンナーレという言葉に対するイメージがだいぶ変わって来ている

トリエンナーレというと、地元密着 大規模 アートイベント と言ったイメージが強い

でも別にトリエンナーレはそうじゃないといけないわけではないはず

アジア美術館でのアジトリの展示内容は凄く良かった 見応えがあった

でもトリエンナーレという言葉から受けるイメージのせいで、損していると思った

言葉が持つイメージというのは怖い

しかも大衆化・一般化されてからのイメージは、本来の意味とは別の意味になっていて、
使用に気をつけなければならない

だからこれまで一度も僕はリノベーションという言葉を使って来なかった。

リノベーションという言葉にもたれているイメージはもはや価値が無いものになっている

使えば使うほど損をする

メディアや広告業界が好んで使っている言葉には注意した方がいい