大人度

この記事にあがっているチェック項目

果たしてまったくドキっとしない人がいるだろうか

「精神年齢をアップさせる5つのレッスン」
http://www.excite.co.jp/News/column/20091127/Allabout_20091127_2.html

むしろ1つや2つ該当する人が多いのではないかと思う。

たしかにここに書かれていることを全て満たしている人がいたなら、
それはかなりな確率で尊敬すべき大人だと思う。

ただここで大人って一体何かということが気になった。

これらを満たすことを目指すのは重要なことだ。
しかし本当に重要なのは、
これらを満たせることは一生できないと認識することではないだろうか

これらの項目に対して、俺は満たしたぞ、私は満たしているぞ、と思った段階で、
むしろ子どもに逆戻りだ。
意識することを止めず、自分はまだまだ子どもだ、と考えて取り組むからこそ大人なのであって、
何かの課題や宿題のように取り組み、よしクリアした、とかいう問題ではないと思う。
そのような取り組み方をしている限りは子どもだ。

そして大人かどうかはこの項目に対して自分で判断するのではなく、
周囲から判断されてはじめて大人と言えるのではないだろうか。

つまり、逆説的だが、
これらの項目にドキッとしなかった、という人は、逆にまずい。
そしてやっかいなのは、ドキッとしなかった人は、それがまずいということに気づきにくい。

このライターさんは凄いと思う。
大人をチェックする項目をこんな風にまとめて挙げれるなんて、そうできることではない。

いよいよ大人になることまでマニュアル化されてきた。

怖いのは、こういう記事を読んで、
良かった私は大人だ、とか、そうかこの項目をクリアすれば大人なのか、
と思う子どものような人が増えることだ。




新幹線の大人の事情02:新幹線博多駅

先日博多南駅の話を書いたが

実は博多駅もかなり大人な事情が垣間見える駅

博多駅はもちろんJR九州の管轄

でも新幹線博多駅はJR西日本の管轄

つまりどれだけ新幹線博多駅を利用されてもJR九州への直接の実入りはゼロ

これは新大阪駅も同じ

大阪駅と新大阪駅が分かれているのはおそらくこれが理由

利用者にとっては迷惑な話だが

新大阪駅はJR東海で大阪駅はJR西日本なのだ

東京から来ても博多から来ても新大阪駅で乗降する限りJR東海には大きなメリット
そもそも新大阪はおそらく新幹線の駅で一番乗降量が多いはずだ

そういう意味では、これは推測だが、新幹線のほとんどの売上はJR東海が占めているのではないだろうか

とにかくそんなことで、九州新幹線つばめと山陽新幹線は乗り入れない

だから九州外から直通で熊本や鹿児島に行くことはできない

改札口も違うから乗り換えがけっこう大変

あまり気にしていないと気にならないが、よくよく見たら大人の事情満載な博多駅

この駅もただの駅ではないのだ

新幹線の大人の事情:博多南駅

博多南駅

昔から謎の駅で気になっていた

なぜ博多駅の次に、博多南駅があるのか

そこまで延ばす必要性があったのか

なぜ博多南駅のためだけの博多南線という路線があるのか

初めて行ってみた

要するに新幹線の格納駅だった

博多駅には格納するところが無い

他に作るしかない

探したら春日になった

だったらそこも駅にするか

そんなことで出来た駅だろう

1駅しかないけど、おそらく路線名が必ず必要で、だから博多南線

新幹線のためだけの駅 在来線は止まらない

4車両だけで、全席自由席

乗車賃も290円と、これは新幹線か、と思うほど安い

駅舎も驚くほど簡素

今まで見た新幹線の駅のホームと改札の中で一番簡素だった

その辺の在来線の駅より簡素だ

逆に駅舎は思ったよりしっかりしていて、ロータリーも大きい

これはたぶんJR西日本とは違う管轄なのではないか

だいたい新幹線の終着駅ためだけの駅ってもしかしてここだけなんではないだろうか

東北新幹線の仙台駅は在来線も止まるし、上越新幹線にしても在来線と乗り合っている

九州新幹線は、山陽新幹線とはつながらないから、この博多南駅は通らない。

大人の事情が垣間見える博多南駅

やはりただの駅ではなかった


ややこしいことは考えない

イケイケどんどんの人を見ると
もしくは あまり意味とか意義とか考えずに動いている人を見ると
つい大丈夫なんだろうかと思ってしまうが、
それでいいのかもしれない
むしろその方がこの社会では成功する

ソーラー発電と原子力発電 / no.d+a

ソーラー発電は個人住宅の屋根から
原子力発電は大規模な施設から

どちらも環境に優しい発電技術として注目を集めているが、そのプロセスは全然違う

どちらがいいかは分からないが、なんとなく21世紀には、個人個人から発電できるソーラー発電の方が向いている気がする

技術が個人個人に提供されているのは良いことだ