第3者は重要なんだ

第3者は重要なんだと最近よく実感する

例えば

「ごめんなさいを言うことは大切だ」と思っているAがいる

AはBからひどいことをされた

でもBはごめんさないと言わなかった

だからAはBに「ごめんなさいと言うべきだ」と言った

でも本当は、

ごめんなさいと言うことは大切であっても

ごめんなさいと言わせることはけして大切ではない

ー 人にごめんさないを言うけれど、人がごめんなさいを言わなくても許す ー

これが理想なはず

そして人がみなこういう意識になれば、自然とごめんなさいと言い合うようになる

でもそんなことはなかなか難しい

だから第3者が重要になってくる

なぜならこういうシチュエーションではAは当事者だから客観的に立つことができないから
Bに「ごめんなさいと言うべきだ」と言うべきでないからだ
言えばおそらくますます関係が悪化する

だから第3者が言う

「Bよ こういう時はAに謝るものなのだ」


これは第3者しか絶対に言えない

だから第3者はすごく重要なんだと実感する


ふたしかなこと

ふたしかなことはどうも気持ちが悪い

でもだからといってそれが悪いものであるというわけではない

ふたしかなことを受け入れられない自分が気持ちが悪いだけ

ふたしかなことを感覚的にでも受け入れれるようになることは重要かもしれない

まずはふたしかなことがあるということを認識するところから