情報の偏りと国の偏り

ちょっとナイーブな問題だが、勇気をもって触れてみたい。

それは北朝鮮問題の話。

触れると言っても、政治論を書くわけでもないし、だいいち、専門家でも無いので、それは避けたい。

ただ、純粋に報道を見ていて感じることがあるので、それをメモ的に記しておきたい。

それは、情報の隔たり(へだたり)による偏り(かたより)だ。

北朝鮮への外からの見方、つまり北朝鮮外からの各国の見方に関する情報は、どんどん入ってくる。
中国がどう考えているかははっきり分からないものの、それでも多少は見えてくる。
この情報技術が発達した社会では、昔以上にそういった情報を一般大衆もマスコミもつかみやすくなっただろう。
しかし、北朝鮮からの情報はまったく入って来ない。
これは当たり前と言えば当たり前。国自体が情報を絞ってしか発信していないし、ましてや民衆から発信されることはあり得ない国だからだ。

でもどうだろう。
だからといって北朝鮮が何も考えていないわけではないし、市民も何も知らず考えていないわけではないはず。
統制されているとはいえ、何らかの事情と状況があるはずなのだ。

しかし情報が流れて来ないことで、何も考えていないと思われたり、得たいが知れないと思われたりしていて、まるで別の生物を眺めているような雰囲気が、報道にはある。そして、勝手な憶測、しかも安易な憶測が流れているように思われる。
でも相手は人間だ。主義や体質、習慣は違えど、何か事情があるのは事実じゃないだろうか。

ここにあるのは、コミュニケーションが不測している者同士に生じ易い、誤解やもめ事に似ているものがあるように思う。仲間内の情報だけを頼りにしていて、事実をつかめるはずはない。

そして、この状況こそ、
ちょっと似ている状況がかつてあったのではないかと思う状況なのだ。

それは二次大戦前の日本と世界の関係。

ここからは、浅い知識による想像の世界だが。
大国のアジアへの植民地支配に抵抗し、アジアで初の主権国家を目指していた日本。
やり方もした事もほとんど間違ってしまったが、目指したのは確かだろう。
つまり当時体勢を占めていた欧米とは別の対立軸を打ち出したわけだ。
その時、他の大国は、様々な理由と立場から、経済制裁をかけ、様々なプレッシャーをかけてきた。
日露先生や日清戦争では、当時としては合法であった法に従えば得れたはずの戦勝国としての対価も、ほとんど得らせてもらえなかった。
すると国は衰弱し、貧困が増し、内政は混乱し始める。国は国民のために、他の大国もやっていることであった、植民地や国土を広げようと、大陸へ出て行く。
しかしそれを侵略行為とみなされて、国際社会から非難され孤立していく。
確かに植民地支配は良くないし、やりかたもまずかった。
でもアフリカ大陸における欧米のそれと比べたら圧倒的に悪いとは言えなかったはず。
台湾では今でも親日の人が残っているぐらいだし、満州国は五国共和を掲げ、植民地とは呼ばなかった。それに比べ、アフリカは今でも植民地時代の影響による民族紛争が続いている。
でもやっぱり力が上の方が価値のイニシアティブを握るもの。
そういう日本の主張はかき消されていっただろう。
満州事変をはじめとする各事変も、あくまで日本の侵略行為と一方的に見なされた。
どちらが挑発したか、とか、どちらが喧嘩を売ったか、などは闇に消えて分からなくなった。
そして日本は今でいう、テロ指定国家になったわけだ。
ますます窮地に追い込まれる日本は、国内の民衆による政府への反発が高まり、軍部への期待が膨らんだ。
そして、軍部の暴走と軍部主導による大戦突入へ。

今の北朝鮮情勢と似ているなと思う点は
・世界の大勢と違う主義と方向性が否定されている
・経済制裁を受け、ますます国内が不安定になっている(らしい)
・軍部が主導権を握り始めている(らしい)
・微妙な国境線でのもめ事だが、全て非が北朝鮮にあると決めつけられている
・世界中からテロ国家と思われている
・ごく少数の国家と手を組んでいる(らしい)
・国内の現実や空気が他国へ伝わっていない
・国外の情報が正しく入っていない(はず)
などだ。
特に最初に触れた、情報不足とコミュニケーション不足による相互理解の不足は、よく似ているのではないかと思うのだ。

僕はけして北朝鮮を擁護する気もないし、大戦中の日本を正当化するつもりも無い。むしろ北朝鮮には早く安定的で民主的な国になってもらいたいと切に願っている。

しかし、かつての日本がそうであったように、軍部以外けして誰も最初から大戦など望んでいなかったのに、誤解が誤解をよんで戦争に突入していく、そんな状況だけは避けて欲しいと思うのだ。

どこか第3国(中国でもアメリカでも国連でもなく)が正確な情報をもとに相互の間をとりまとめれないものだろうか。それは、国でなくても、民間でもいい。いやむしろしがらみの無い民間がいいのかもしれない。

とにかく、今の、「こちらの情報と考えは絶対に正しい」として責めよる報道と世界の風潮に強い危機感と違和感を感じるのだ。
こういう時こそ多角的な視点と深読みしてみる姿勢が重要だと思う。
今こそメディアはその多様な価値観をうまく世界に伝えて欲しい。







解散ではなく活動停止になる理由

音楽グループはよく活動停止や解散をするものだ。

特にロックバンドは、音楽性の違い、などを理由に解散になることが多い。
最近も某人気韓国アイドルグループが活動を停止した。

しかし、今回のこの活動停止からは、色々今までとは違う事情見えてくる。
はたから見たら今回のは明らかに解散と呼ぶのが正しいはず。でも解散ではなく活動停止なのだ。 もちろん、所属事務所側に決定権があって、解散を許さなかったという面が大きい。 でも、どうやらそう簡単に解散とは言えない事情がある様だ。

事務所的には、金輪際二度と再結成の見込みが立たないわけではないとはいえ、何かメリットがあるわけでもない様に見える。グループ名の所有権だけ持って解散にした方が、サイトの管理や問い合わせへの対応を止めることなどができて、そこにかけてきたコストが抑えられるはず。

しかし、ここが今のショービジネスの複雑さ。

事務所は様々なところとこの名前で契約しているのだ。
例えばクレジットカード。 クレジットカード会社と契約してオリジナルカードを作って、会員をたくさん抱えている。 おそらくクレジットカード会社とは何年間かの契約になっているだろうし、会員の管理もしている。これを簡単には破棄できないわけだ。

要するに、もはや活動しついる本人たちとは無関係な要因で、停止か解散が決まっている。
そこには、アーティストやファンの意向や配慮はまったく無い。

あくまで想像の範囲を脱しえないが、アーティストの動向一つで、様々な様相と関係が見えてるものだ。 from I-phone

キンコーズからの都市分析

けっこうどうでもいい話だけど、福岡の新たな特徴発見。 そるは、キンコーズが凄く多い、ということ。 ていうかキンコーズを利用する様になったのが福岡に来てからだったから気付かなかったが、こないだ京都で利用しようとして探したら、なんと1件しかなかった。しかも、だからと言って、他にそういうサービスがあるわけではない。そもそも関西自体が少ない。下手すると福岡なら1km間隔であるぐらいなのに。むしろ福岡が特殊なのか。 キンコーズの需要があるということは、それだけ個人事業者やクリエイティブ関係者が多いということかも。 キンコーズの数でその街の特徴がちょっと分かるのだ。 from I-phone



博多▶姫路|更に増えた

広島駅でたくさん降りたかと思ったら、更にたくさんの海外旅行客の人たちが乗り込んできた。これは僕の車両だけだろうか、もはや日本人は僕入れて数名の車両になってしまった。様々な言語が飛び交う国際色豊かな新幹線。 from I-phone

場所:広島駅

博多▶姫路|たくさんの海外旅行客

今日はなぜかすごいたくさんの海外からの旅行客がいる。何か福岡であったんだろうか。しかも団体客も多い。JAPAN TRIP 2010ていうキャップをかぶってたりする。そんなツアーがあるんだな。 とにかく、京都駅かと見紛うばかりの状況だ。


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場所:博多駅