IT業界と建築業界 / no.d+a

IT業界を見ているとうらやましくなる面がある

それは、まだまだ未開拓の領域があり、大きなリスクを背負ってでも開拓しようとする
冒険心あふれる人々がまだまだ多いところだ

ひとたび面白そうだと思えば、損益考えず、チームを組んで、ボランタリーに取り組むことができる
グーグルやユーチューブも、様々方々に聞く限り、そういう側面があるように思う

ここはあくまで勝手な憶測に過ぎないが、
これはきっと100年ほど前にモダニズムの流れが始まった頃の建築業界に似ている気がする

リスクを恐れず、利益なんか気にしないで、どんどん挑戦的にやっていた人々がいたし、
それだけの可能性が建築という分野にはまだまだあった

しかし今、建築業界は衰退への道をたどっている
リスクも背負いづらくなり、背負う人もいなくなってきた
土地は少なくなり、そもそも建物が社会にとって必要とされることも少なくなってきた
ショップとネットショップとの関係などは好例だ

実はこれは将来IT業界が直面する壁でもある

というかもうかなりのスピードでそこに向かっている感もある

グーグルがスマートグリッドに関わり始めたそうだ

AIPの山本さんによれば、
「将来的にIT業界は電気の奪い合いになる」
という

これは土地を奪い合ってきた建築業界を想起させる

どの業界にも繁栄と衰亡がある

IT業界も建築業界と同じような道をたどるだろう
しかもこのスピードを見ているとそれはごく近い将来のようだ

しかしここで建築業界と違うのは
既に建築業界のような前例があるということだ

IT業界が建築業界と同じ道をたどらないためにも、
建築業界の経緯をよく見て欲しいと願う





twitter はインフラ / no.d+a

twitterはインフラ mixiはサービス

これはAIP CAFEの山本さんから教えてもらった新たな見方

twitterは利用者に委ねていることが多い
どう使うかは利用者次第

ガスをコンロに使うのかストーブに使うのか
そんな感覚だと思えば確かにそう見えてくる

つぶやくという簡単な機能しかない分、
メモ代わりに使ったり、日記に使ったり、会話に使ったり、と幅広い

そう思うとmixiはけっこう利用者に使い方を強いている
言い方を変えれば、使い方がある程度決まっている
利用者に委ねている範囲が狭いわけだ

もちろんそこには明確な境界は無い
時代や周囲の変化によっても変わってくるだろう
いつかtwitterもサービスと見られるかもしれないし、
何かと比べたらmixiもインフラと言えるかもしれない

ここで重要なのはIT業界の中にtwitterをインフラと見ている人々がいるということであり、
インターネットという大きなインフラの上にさらに新たなインフラが乗るということだ






noroブログに注目です / no.d+a

皆さん

トラベラーズプロジェクトのアートディレクターでもある
グラフィックデザイナー野呂さんの事務所
noro.addのブログに注目です。

ノロブログとスタッフブログに分かれています。

どちらも面白いし、勉強になります

これはますます野呂事務所に入りたい人が増えることでしょう

久々のNEWSカテゴリーのブログが、野呂さんのブログお薦めという
野田でした

キンドルについて 本の本展トークの補足 / no.d+a

先日14日に、主宰するTRAVEL FRONT運営のkonya-galleryが1周年を迎えた。
1周年記念の企画展として、hact(目黒実氏&山下麻里氏)監修による
『本の本展ー本を愛する本の物語ー』
を開催することになり、その日無事に初日を迎えた。

オープニングの企画として、目黒実氏のトークイベントを開催。
来場者には、たっぷりと2時間、円熟の氏の話を色々聞いて頂くことができた。

また28日にも開催するので、ぜひお越し頂きたい。
詳しくはkonya-galleryのHPを参照されたい。

さて、そのトークイベントの最後10分のところで、目黒氏より司会であった僕に話題がぽんっとふられた。
最近出た電子書籍キンドルについてどう思うか、というものだった。
前日にもその議論をさせてもらい、話したいことはあったが、
残りあと10分ほどしかなかったので、
とっさの判断で、お客さんからの質問の時間に充てた。

しかしその後、来場者の一人からメールを頂き、キンドルについてやりとりする機会があった。

せっかくなので、その時のメールから一部抜粋・修正して、ここでキンドルへの僕の見方を掲載しておき、当日話せなかった部分を補足しておきたいと思う。

ちなみに目黒氏の考え方は
キンドルなんて書籍とは言えない 認められない
である。
もちろん聞けば色々その意味は出てくるが、ここでは大変勝手ながらシンプルにそうまとめさせて頂いておく。

僕はキンドルについてはちょっと見解が違う。
というか、一方的にキンドル反対派が周囲に多いこともあり、あえて違う見解を述べておきたい。議論は両極あってはじめて成り立つものだ。

さて、では、
キンドルが生まれたことと、印刷技術が生まれたことと、どう違うのだろう
と投げかけたい

おそらく印刷技術が生まれた瞬間は、今と同じような気持ちで受け取られたのではないかと思うのだ。
「たしかに便利だ、しかしこれでは書生の仕事は無くなってしまうし、本を読む=手書きの字を読む 本を書く=手書きで書く という手書きを愛する文化が無くなるではないか!」という風に。
また、今回キンドルは書籍1500冊分の情報が格納されると言う。
でも印刷技術が生まれた当時も、小さな文字で印刷できるようになったことで、おそらくそれまでの1枚に入っていた文字数よりははるかに多くなったことだろうと思う。
「これでは1冊に入っている情報量が多過ぎて、一文一文の価値が下がってしまう!」
と思う人もいたはずだ。
そんなこんなで、とにかく当時の教養層はそれなりに色々議論したのではないだろうか。

でも数百年たった現在、書籍文化という文化となり、それを今の僕らは享受している。
もちろん手書きの文化が無くなって良かったとは言わないが、代わりに書籍文化というものが生まれたわけだ。

そして今、キンドルが誕生した。

もちろんキンドルには良くない箇所もあるだろう。
本という物質が持っている要素に触れることは無くなり、印刷や紙、装丁などは、習慣としても産業としても技術としても無くなっていく

しかし、僕らが感じている違和感や抵抗感は、果たして純粋に、素直に、絶対的に、客観的に、キンドルを見て感じていることだろうか。
印刷技術が生まれた時に感じた当時の人々の困惑とは違う、と言い切れるだろうか。
ただただ今まで慣れ親しんで来たものからの変化に対して感じているだけとは言えないか。

そんな風にも思うのだ。

古いものだけが文化だろうか 古いものを守ることが文化だろうか
古いものも最初は新しかったのだ 最初から古いものなど無いのだ
新しいものは文化ではないのか 新しいものを文化に昇華させていくことも大切なのではないか

色々考えは巡る。

もちろん出来れば書籍文化と共存して欲しいのが本音だ。

しかし如何なる時も、自らの感覚や価値観に固執することなく
様々な多角的視点を持って考察したいものである。

果たしてキンドルにはどのような可能性と未来があるのか

書籍の未来と可能性を考える上でも、今後注目しておきたい。









ややこしいことは考えない

イケイケどんどんの人を見ると
もしくは あまり意味とか意義とか考えずに動いている人を見ると
つい大丈夫なんだろうかと思ってしまうが、
それでいいのかもしれない
むしろその方がこの社会では成功する