やれることはなるべく早くやった方がええよ

大正元年生まれの祖母と話していて、そう言われた。

第一線で仕事をしている人や先輩などからも良く言われるが、
あと少しで1世紀生きることになる人に言われると、その重みはまた全然違う。

まだ関東大震災も第1次世界大戦も起こっていない
まだ韓国は李氏朝鮮で、中国も清である時代
祖母は今でも、北朝鮮と韓国のことを、北鮮・南鮮とついつい呼んでしまう。
祖母にとっては北と南に分かれてからの方がまだ短いのだ

祖父と6名もの子とともに北鮮に第二次大戦前に移り、
まだ歴史上終戦でない時期に、既に生活の中で敗戦を肌で実感し、
それまで祖父の部下だった朝鮮の人々がある日から上司にとってかわり、
そこにソ連兵がやってきて占領し、また更に人間の上下関係が変わり、
ある晩に他の6家族とともに逃げ出し、
地図も何も無い中、小さな子ども6人の手を引き、必死に南鮮に向かい、
やっと着いた街ではコレラが発祥していたために米軍によって隔離されてしまっていて、
また逃げ出し、這々の体で釜山から引き揚げ船に乗り込み、
佐世保に着いたと思ったら、コレラが流行った街から来たという理由で、5日間も海上で待たされ、
本来米軍から引揚者に支給されるために提供されたはずの食料は全て船長と船員が独占し、
代わりに粟のおかゆを食べさせられ、そのために栄養失調で次々に周りの人々が飢えで倒れていく
亡くなって行く人々をそのまま船に置いておくわけにはいかないから、船上から海へと次々に遺体は放り投げられていく
やっと上陸したと思ったら、日本の主要都市は焼け野原
祖母の実家のあった住吉は川崎重工があったため、
平な場所が見当たらないほど焼夷弾の後で地面は穴しかない
そんな街の駅で停めても仕方ないからと、佐世保からの貨車は広島〜神戸間は止まってはくれず、ただただ過ぎる風景として見ているしかない
やっと停まった大阪駅
近くの親戚宅に一旦居候するも、やはり家のある大津まで帰ろうと、1ヶ月滞在しただけでまた移動する
京都、滋賀は空襲を受けなかったため、焼けておらず、周囲の家も人も無事
でもかえってそれが仇となった
空襲を受けなかった土地の人々は引揚者に冷たかった
家にはいつの間にか勝手に他人が住んでいた
自分の家なのに2階に一家で居候する生活
子どもたちが小学校へ行っても、配給品を巡って、争いが起こる
「引揚てきやがって。こっちもきついのになんで戻って来たんだ。物がますます足りなくなるじゃないか」
そんなことを小学1年生が同級生の引き揚げて来た子に言う
一方で、別の小学校では
「僕たちは要りません。先生、引き揚げて来た人たちを優先して下さい」
と言う子がいたりもする。
※これは、地元の市立小学校と滋賀大付属小学校の話で、
 そういう究極の状態の時の選択と判断、しかも子どもという純粋な段階での人の発言が、
 土壇場の教養や教育(知能や知識という意味ではなく)の重要性をあからさまにする
そんな露骨な人の性分を感じたりしながら、必死で6人を立派に育てた

やれるのについついやらないことが人はあるから、思い立ったらすぐにやった方がいいよ
とかいう平和な話ではなく
やりたくてもやれないことが人生にはある
やりたいときとやれるときは必ずしも一致しないことがある
だから、やれるのならやれることは今やらないと二度とできなくなるかもしれない

そういう意味と経験がその言葉には含まれている
もちろん祖母はそんなに、重たく、説教地味て言ったのではない
ごくごく自然にさらっとそう言った
だからこそますます重たい

僕ら経済発展後世代は本当に恵まれている  
いや、ある意味そういう経験ができない分、損をしているとも言えるかもしれない
戦後世代の苦しい時代さえ知らない 高度経済成長期のような分かり易い生き甲斐もない
そんな僕に時間の貴重さなんて分かるはずが無い

本当の時間の大切さ 一生は刹那である 

それを分からないなりにもせめて意識して過ごしたいものだ

明日は何をすべきで僕は何をしたいだろうか 




大人度

この記事にあがっているチェック項目

果たしてまったくドキっとしない人がいるだろうか

「精神年齢をアップさせる5つのレッスン」
http://www.excite.co.jp/News/column/20091127/Allabout_20091127_2.html

むしろ1つや2つ該当する人が多いのではないかと思う。

たしかにここに書かれていることを全て満たしている人がいたなら、
それはかなりな確率で尊敬すべき大人だと思う。

ただここで大人って一体何かということが気になった。

これらを満たすことを目指すのは重要なことだ。
しかし本当に重要なのは、
これらを満たせることは一生できないと認識することではないだろうか

これらの項目に対して、俺は満たしたぞ、私は満たしているぞ、と思った段階で、
むしろ子どもに逆戻りだ。
意識することを止めず、自分はまだまだ子どもだ、と考えて取り組むからこそ大人なのであって、
何かの課題や宿題のように取り組み、よしクリアした、とかいう問題ではないと思う。
そのような取り組み方をしている限りは子どもだ。

そして大人かどうかはこの項目に対して自分で判断するのではなく、
周囲から判断されてはじめて大人と言えるのではないだろうか。

つまり、逆説的だが、
これらの項目にドキッとしなかった、という人は、逆にまずい。
そしてやっかいなのは、ドキッとしなかった人は、それがまずいということに気づきにくい。

このライターさんは凄いと思う。
大人をチェックする項目をこんな風にまとめて挙げれるなんて、そうできることではない。

いよいよ大人になることまでマニュアル化されてきた。

怖いのは、こういう記事を読んで、
良かった私は大人だ、とか、そうかこの項目をクリアすれば大人なのか、
と思う子どものような人が増えることだ。




安定性と柔軟性

この話 読んでいて、
けしてお局様になりそうな女性だけの話ではない、と思った

「崖っぷちに立つお局様にならないために」
http://www.excite.co.jp/News/column/20091029/Dokujyo_4419374.html

むしろほとんどの人がこうなりがちなのではないだろうか

特に
・新しい仕事ややり方を変えることを嫌う。
という項目は、分かっていても 実際いざ直面するとけっこう難しい

つねに謙虚にいようとしても
知識や経験がついてくれば自然とそれらにもとづいた価値観は形成されてしまう

それが 知恵 と呼ばれるのか 頑固 と呼ばれるのかは 紙一重だ。

つねに新しくありたいと思うし、つねに変化に対応したいと思うが、

周囲に流されたり 軸が無い状態になることは避けたい

こういうことで悩む時、

毎回、理想は水だ、と思い出すようにしている。

H2Oという化学記号は一定でも、

気温に応じて 氷ー水ー蒸気 と変化する

こうありたいものだ。


第3者は重要なんだ

第3者は重要なんだと最近よく実感する

例えば

「ごめんなさいを言うことは大切だ」と思っているAがいる

AはBからひどいことをされた

でもBはごめんさないと言わなかった

だからAはBに「ごめんなさいと言うべきだ」と言った

でも本当は、

ごめんなさいと言うことは大切であっても

ごめんなさいと言わせることはけして大切ではない

ー 人にごめんさないを言うけれど、人がごめんなさいを言わなくても許す ー

これが理想なはず

そして人がみなこういう意識になれば、自然とごめんなさいと言い合うようになる

でもそんなことはなかなか難しい

だから第3者が重要になってくる

なぜならこういうシチュエーションではAは当事者だから客観的に立つことができないから
Bに「ごめんなさいと言うべきだ」と言うべきでないからだ
言えばおそらくますます関係が悪化する

だから第3者が言う

「Bよ こういう時はAに謝るものなのだ」


これは第3者しか絶対に言えない

だから第3者はすごく重要なんだと実感する


ふたしかなこと

ふたしかなことはどうも気持ちが悪い

でもだからといってそれが悪いものであるというわけではない

ふたしかなことを受け入れられない自分が気持ちが悪いだけ

ふたしかなことを感覚的にでも受け入れれるようになることは重要かもしれない

まずはふたしかなことがあるということを認識するところから