12.12.12
わたしが高杉晋作を好きなのは
有名なはなしですが
最近、井伊直弼が気になります。
井伊直弼は言わずと知れた
幕末の大名、彦根藩第15代目藩主です。
兄弟が多かった上に庶子であったことから、
養子の口も無く、17~32歳までの15年間を
部屋住みとして過ごしました。
※部屋住み・・・武士の次三男は養子の口がなければ
厄介ということで兄の世話になるのが基本。
大身の旗本や大名であればごくたまには分知ということで
所領の一部をわけてもらうこともありましたが、
これは江戸初期を除けばほとんど望めませんでした。
お世話になる、、、といっても、何の役にも立たない
ごみのような存在として目的意識もなく、
いざ兄が死んだときのためのスペアとして飼殺されて
(家をの血統を維持するため)、
兄に子供が生まれた瞬間、用済みで
哀れな人生のまま忘れ去られる。
社会に人を飼っておくだけの余裕がある生産力があり、
かつといっても嫡男以外に土地や資産を与えられるほどの
リソースがない土地で起きる現象。(インターネット情報)
自らを花の咲くことのない埋もれ木に例え
「埋木舎(うもれぎのや)」と名付けた邸宅で
世捨て人のように暮らしていたそうです。ううっ。
部屋住みの人は茶道や武道に勤しむのですが、
彼も和歌や鼓、禅、槍術、居合術など
風流に行きていた模様。(世捨て人・・?)
しかし、兄である第14代藩主の世継ぎが死去し
兄の養子という形で彦根藩の後継者に決定!!!
ここからじはじまる大 逆 転 劇 。
まぁ~巻き返しましたよね、15年を。
現代ならば『33歳からの逆転劇~僕が実権を握るまで~』
という著書の1冊や2冊、出版したでしょう。
藩では名君と呼ばれたそう。
そっからはまぁ、歴史の授業で知られている通りです。
安政の大獄で松陰先生を・・・ううっ。
そして桜田門外の変・・・となるのですが。
漢を殺し、漢に殺される人生って
酷く格好良いと思ってしまうのは
平和ボケしている証でしょう、、か。
逢うて別れて 別れて逢うて
泣くも笑うもあとやさき
末は野の風 秋の風
一期一会の別れかな
(都々逸おもしろい。どき)